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2009-01-26 00:00
「民」の組織を殺しにかかっている「公益法人制度改革」
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
「官」だ「民」だ、となぜこだわるのかということについては、いままで私の投稿をお読み頂いている皆様には、再説の必要はないと思う。「官」が何でも悪い訳でもなければ、「民」なら何でもよい訳でもない。要は、制度設計も行動原理もまるで違う生き物をつかまえて、なまじ「善かれ」と考えて、あれこれいじりまわすのは愚の骨頂だ、と言いたい訳だ。中国四千年の歴史は流石で、荘子の中にぴったりの寓話がある。昔「混沌」というのっぺらぼうの名君がいた。その善政に報いようと思って、眼や鼻や口に当たる穴を空けてあげたところ、混沌は7日のうちに死んでしまった、という話だ。
「民」が世のため人のための仕事をしようと思えば、浄財が必要になる。それを免税扱いにすれば、寄付をする方にもインセンティブが働くだろう、ということで、そういう制度を設けることにした。結構な話だ。だからといって、「民」でさえあればどんな組織に対する寄付でも免税扱いにする、という訳にも参らない。だから、こういう要件を満たした組織に対する寄付に限って免税扱いにします、という条件設定をしたい。当たり前の話だ。普通の「民」の感覚では、良い仕事をしたかどうか、その実績、成果を見た上で、なるほど良い仕事をしていますね、そう言う組織には良いことがあるようにしましょう、というのが当たり前だろう。
ところが「官」の論理では、そうはならない。「良い仕事をしますよ」と約束する組織の、その約束の仕方にあれこれ条件を付けて、その小難しい条件を満たしてさえいれば「いい仕事をする」と認めましょう、という何とも珍妙な論理になる。要するに、悪いことをしたくても出来ないような枠組み(ハードル)を作り上げた上で、そのハードルを越えた人だけに甘い水を飲ませましょう、という仕掛けだ。悪いことがしようにも出来ないようにした上で、悪いことをしそうだったら引っ括ろうというのは、かの治安維持法の予防検束と同じ発想である。
こういう馬鹿げた発想で成立しているのが、今回の「公益法人制度改革」である。お役人の好き勝手な行動を掣肘する論理としては、これでよいかもしれない。公僕が悪いことがしたくても出来ないようにしておく、のは悪い考えではない。それでも何が起こっているかは、社会保険庁や国土交通省を見れば、お解りの通りだ。だが、臨機応変、柔軟さが取り柄の民間組織を、こんな理屈で縛ったのでは、両手両足を縛った上で、ボクサーをリングに上げるようなものだ。
具体的にひとつだけ馬鹿げた例を挙げよう。「民」で世のため人のための仕事をする組織は、収入が支出を超えてはいけない、とされている。つまり「支出される経費以上の収入を得てはいけない」というのだ。冗談ではない。だが、法律には本気でそう書いてある。ご希望があれば、こうした馬鹿げた縛りの例をいくつでもお示しするが、要は、お役人が「善かれ」と思って、よってたかって混沌に眼や鼻をあけているのである。混沌は死ぬ他ないではないか。
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