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2006-04-16 00:00
捕虜になること
木下 博生
(社)日本防衛装備工業会理事長
昨年、第二次大戦終結60周年を記念して、日本国内ではいろいろな行事が行われた。アメリカでも同様だったが、その一環として、国防省はホームページに、一大激戦地となった硫黄島の擂鉢山を占拠して米国旗を立てた兵士の手記を掲載した。山を奪取したあと、洞窟に隠れていた日本兵を火炎放射器でTAKE CAREしたとの文章を目にしたとき、「そこまであからさまに書かなくとも」との気持を強くした。
私は、84年と94年の2回、硫黄島を訪ねる機会を得たが、擂鉢山から全島を見下ろした時、「ここで栗林中将以下の将兵が玉砕したのか」と涙が止まらなかったのを覚えている。島内にめぐらされた洞窟からは、「敵は地上にあり、我は地下にあり」との電報が打たれたというが、その中にはまだ沢山の遺品が残されていた。
昭和16年に陸軍省が作った戦陣訓には、「生きて虜囚の辱を受けず」という一節があり、これが捕虜には絶対にならないという軍の姿勢を生み、各地で玉砕戦が行われた。天皇、皇后両陛下が訪問されたサイパン島では、多くの民間人もバンザイクリフから身を投じたという。
同じ戦陣訓には、「敵を屈服せしむとも、服するは撃たず、従うは慈しむ」という一節もある。私の疑問は、そのような思想があるなら、なぜ、戦時中の軍は兵が捕虜になることを一定の条件下で許容しなかったのか、ということである。戦意が落ちる問題はあったかも知れないが、犠牲者の数は、大幅に少なくて済んだのではないだろうか。
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