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2009-04-15 00:00
(連載)NATO60年の歴史を振り返って(2)
山田 禎介
ジャーナリスト
冷戦崩壊後の欧州の様変わりは、いろいろ見ることが出来るし、確かにNATOはいまや変質して久しい。NATO、EUの多くの会議は、政治問題で、共通性も多い。おまけにブリュッセルNATO本部では軍事、防衛イメージを極力排除しようとしたのか、90年代後半から通行許可証が濃いブルー系統から、まるで日本の風俗ビラと錯覚するようなあくどさのピンク色になり、本部内の店舗では世界の観光地同様のみやげ物「NATOグッズ」であふれ始めた。こうした光景もあってか、日本の学者の一部には大胆にも、基本は集団防衛体制のNATO、加盟国の主権の一部を代表する拡大国家EUの、それぞれの(東方)拡大を同列に考え、論じる方もおられる。
また、トルコがNATOに強く招請されたいきさつを想起するのか、将来、トルコのEU加盟を必然のものとみる意見もある。だが筆者には、これらの議論は現実離れした楽観論ではないかと思われる。ソ連邦崩壊・ワルシャワ条約機構解体(1991年)と軌を一にするNATO東方拡大は、NATOの軍事色をこのように各段に薄めた。他方、EUも「アメリカ抜きの独自の軍事力を」と、仏独旅団の創設を行い、現在は欧州合同軍団(ユーロ・コー)へと発展させた。現状のソマリア海賊対策のEU「アタランタ作戦」では、現地アデン湾に海軍を送っている。
だが、NATO集団防衛体制の空気がじかに感じられる存在が別にあるのだ。それはブリュッセル南西45キロのカストーにあるNATO実戦部隊の本拠、作戦連合軍最高司令部(SHAPE)である。カストー付近は、やはり最前線を実感する。北朝鮮ミサイル問題でも注目された早期警戒システムが置かれ、その装置の強電磁波が飛び交うのか、カストーや近くの町モンスでは、携帯電話も通じなくなる。ところで、NATOと日本との関係を考えるとき、ブリュッセルに駐在していたインド政府系ジャーナリストのことを思い出す。NATO国防相会議がノルウェーのベルゲンで開かれ、当時のロシア国防相が賓客として招待されたときだった。この老練な人物は長期にわたりNATOをフォローしており、聞くとNATO拡大は必然のこととして、それはロシアから中央アジア、アジア領域にまで及ぶだろうとの持論を語った。
将来のNATOは中国と長い国境線で対峙する局面をうむこともある、と予想するのがこの紳士だった。その場合、インドはどう対処するのか。実は、それがインドの将来に向けた国防戦略の本質ではないか、といまは感じるが、当時はあまりに壮大な話と思ったものだ。だがインドが懸念するその渦中の地域の一部、現状混迷のアフガニスタンでは、国際治安支援部隊(ISAF)としてNATO軍が展開する。その姿を見ると、このインド人ジャーナリストの見方は俄然、現実のものととらえられるような気がする。(おわり)
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