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2009-05-09 00:00
伊勢崎教授の提起した憲法9条論
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
伊勢崎賢治・東京外国語大教授が、5月2日の朝日新聞紙上で「ソマリア沖への自衛官派遣は違憲」とするインタビュー記事に登場している。「憲法9条は日本人にはもったいない」「最大の違憲であるソマリア沖への自衛隊派遣になぜ猛反対しない?」とかなりセンセーショナルである。が、注意して読むと、彼の9条論は2段構えで、「世界益」を守るための国連PKOやイラク・インド洋への自衛隊派遣と、「国益」を守るための今回のような日本関係船舶の護衛を区別する。もちろん両者とも「違憲」だが、まだ前者の方はともかく、後者の方は弁解無用だとする。
周知のように、伊勢崎教授は日本人としては希有の数多い紛争「現場」の経験者であり、空理空論に走らない、いわば地に足の着いた国際紛争に関する論客として尊敬を集めている。通常であれば支持を集め易い「邦人保護」のための派遣を斥け、「世界益」のためならばまだしも(明示の形で合憲とはしないものの)、とするのも同教授ならではの独特の論法であるといってよいだろう。誰もが知っているように、歴史をひもとけば、自国民保護に名を藉りた出兵が侵略に連なった例は数多い。かなりなし崩しの形で憲法問題が実質的に(de facto)形骸化し、オトナの物わかりの良い議論の前で「護憲」一筋の政党にさっぱり元気がない昨今、同教授の発言は貴重なものであるといってよい。
これまでの自衛隊派遣は、一応単行法による特別措置、という形式をとる。その限りにおいては、国会の審議も受け、合法性の推定を受ける民主的プロセスは経ている。しかし、いかんせん最高法規である憲法の規定に違背しているとすれば、そのようなお化粧(cosmetic work)にさしたる意義はないというべきであろう。掲示板の限られた投稿字数でこんな大問題に触れたというのは、不見識のそしりを免れまいが、提起したかった問題点は2つだ。1つは、「国際社会における治安維持」という意味で、警察行動のような活動を明確に定義することが可能かという点だ。
「可能か」というのは、技術的にそれを明確に定義できるかという意味と、「国連のお墨付きでもあれば」という他力本願ではない日本独自の判断として、自力でそれを規定するだけの能力がわが国にあるかという意味である。さらに付言すれば、仮にそうした定義ができたとしても、個別のケースがそれに該当するか否かは誰がどう判断するか、という問題もある。2つ目は、仮にそれが明定され、日本がそうした行動に参加することを国民が支持した場合であっても、なお憲法改正は必要だろうか、という点である。とかく正面切って議論されなくなった観のある憲法問題だが、伊勢崎教授の問題提起が大きな波を引き起こすことを期待したい。
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