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2009-06-09 00:00
(連載)天安門事件20周年にあたり思う(1)
藤井 厳喜
ケンブリッジ・フォーキャスト・グループ・オブ・ジャパン代表取締役
6月4日は北京における天安門事件20周年の日である。天安門事件が起きた頃、私はラジオ文化放送の早朝番組「ワールド・ホットライン」のキャスターを毎週月曜日と火曜日の朝、務めていた。天安門事件の直後に日本の大学院に留学しているシナ人の学生を匿名でゲストに呼んで話をインタビューした。この時のことが強く印象に残っている。この時の学生Aさんは、30代後半の経済学専攻の大学院生であったが、文化大革命で下放され、大学での勉学が著しく遅れたことを嘆いていた。このAさんは、天安門広場で起きた民主化運動への暴力的弾圧に、勿論、怒りを隠せず、同時に自国と自らの将来に大きな不安を抱えていた。今、そのAさんがどこで何をしているか、私は全く知らない。Aさんとは、この早朝番組で一度、話をしただけの関係である。
番組の中でAさんが言ったことで、とても印象的だったことは、日本企業が引き続きシナに進出して経済の開放路線を助けてほしいということであった。政治的弾圧を嫌悪して日本企業がシナから引き上げれば、経済の開放改革は遅れて、政治的民主化の希望も全く消え去ってしまう。外国企業がシナから撤退すれば、経済は完全な鎖国経済に逆戻りし、文化大革命当時のような経済状況が復活するのではないか、とAさんは恐れていた。私も彼と同様の心配を心に抱いていた。実際、天安門事件にもかかわらず、シナに居残り、すぐビジネスを再開した外国企業は、シナ政府に大いに歓迎され、有利な条件で商売を行うことが出来た。当時の私の心境としては、これらの日本企業や外国企業に好感をもっていた。しかし、現在の時点から見れば、私の抱いていた希望や観測はあまりに甘かったと言わざるを得ないと思う。
当時のブッシュ米大統領をはじめ、私を含む多くの外国人が考えていたのは、シナにおいて外国企業に刺激を受けた市場経済が発展していけば、やがて中産階級が生まれ、それらの人々が政治におけるデモクラシーを推進する勢力になってゆくであろう、という期待であった。過去20年の歴史は、我々が抱いたこの希望が完全に裏切られたことを実証している。
シナにおける経済発展は、あくまでも共産党一党独裁の管理下にあるものであって、経済が如何に発展しても、それは全く民主政治の発展に繋がらないことが証明されたのである。繋がらないどころか、寧ろ、経済発展はデモクラシーを推進しない為の道具にすら成り果てている。シナ共産党は人々のエネルギーを拝金主義的な経済発展に誘導し、人々に一切の政治的関心を抱かせないように社会を統制している。
このような事態においては、経済発展は民主政治の代替物であり、民主政治を発展させないための政治的心理的道具ですらある。(つづく)
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