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2009-08-17 00:00
「核廃絶」論議は現実を踏まえて
吉田 康彦
大阪経済法科大学客員教授
広島・長崎への原爆投下の記念日を迎えて、毎年8月、日本のメディアは「核廃絶」論一色に染まる。国民の関心が高まるのは悪いことではないが、一過性のムードで事態が変わるわけではない。それでも今年は、オバマ米大統領のプラハ演説を受けて、秋葉広島市長も田上長崎市長も勢いづいていた。しかし、日本人は身勝手な論理を振り回す癖がある。秋葉市長は、「核兵器のない世界」実現を目指すとしたオバマ演説を支持して、Obamajority なる英語の合成語をくりかえして、悦に入っていたが、オバマ氏は同時に「世界に核兵器が存在する限り、米国は核を放棄しない」「“核の傘”を提供するという同盟国に対する約束は守る」とも述べており、手放しで「核廃絶」を訴え、実践する意思を表明したわけではない。Obamajority という英語は、下手なダジャレでしかない。
次に、長崎の高校生が集めた反核署名が100万人分を突破し、彼らはこれをジュネーブの国連欧州本部に届けるのだという。ジュネーブは軍縮会議の舞台であり、国連軍縮研究所も存在する。「反核署名を国連に届ける」というのは、一見、理にかなっているようだが、国連に届けてどうなるのか。独りよがりも甚だしい。実は筆者は、1980年代から90年代にかけて、ニューヨーク、ジュネーブ、ウィーンの国連機関に勤務していたが、毎年、日本から届けられる署名に頭を痛めていた。署名簿には「国連事務総長殿、この世の中から核兵器をなくしてください」と「核廃絶」の悲願が書き連ねられ、すべて国連に悲願を託すという形になっていた。国連事務局はうやうやしく受け取ってすべて廃棄処分にした。
1982年の第2回軍縮特別総会の際、日本から持ち込まれた署名簿は大型トラック数台分に達し、署名した日本人の総数は1億を超えていた。大量すぎて国連ビルの床が抜けおちるのを心配した上司から、署名簿受け取り拒否を命じられた筆者は、「核廃絶という日本国民の悲願を無視する国賊」と非難された。国連に悲願を託すという発想は、そもそも間違いであり、日本人のご都合主義だ。
その点だけでも指摘したいと思って、数年前、長崎の原爆慰霊祭にコメンテーターとして地元の民放局に招かれた際、「長崎新聞」に投書したところボツにされた。新聞社の言い分は、「被爆地の高校生の純粋な気持ちに水を差すわけにはいかない」というものだったが、「水を差す」わけではない。「国連に宛てても意味がない」ことを知らせ、誰宛てにするのがいいかを彼らに考えさせることの方がはるかに重要ではなかったのか、と改めて思い出している。
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