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2009-10-09 00:00
(連載)鳩山「友愛外交」の本質はなにか?(2)
藤井 厳喜
ケンブリッジ・フォーキャスト・グループ・オブ・ジャパン代表取締役
日米安保条約により、アメリカ軍は日本各地に基地を持ち、駐留しており、これらの状況を直接探りたいというのも、ソ連にとっての焦りを生んでいた大きな原因であろう。極東の軍事情勢をより正確に把握する為には、日本に大使館を開く事はソ連にとっても焦眉の急であった。また、日本における親ソ反米分子を焚きつけ、これを直接操る事も、大使館を開設すればより容易になる事が明らかである。このソ連側の焦りを熟知していた吉田首相は、敢えて早期の国交正常化を急がず、ソ連側に最大の妥協を迫っていた。ベテラン外交官の吉田ならではの手腕というべきであろう。
吉田外交の巧妙な交渉により、ソ連側は大使館開設の代償として、北方領土の返還、ならびにソ連抑留中の日本人捕虜の即時帰国を承認していた。条約草案も整い、まさに日ロ両国がこれに調印しようとした時に、鳩山一郎の吉田内閣倒閣運動が実を結び、吉田内閣は崩壊してしまった。これにより、日本は、北方四島返還を含む最大の外交上のチャンスを喪失してしまったのである。勿論、吉田はこの事は、国家機密であるから、鳩山には一言も継げなかった。吉田が「まだやり残る事が残っている」と言っていたのは、単なる権力の座への固執ではなく、この北方領土返還の事だったのである。
当時、外務省ソ連課長であった曽野明は、これを直接、体験した人物であるから、彼の発言は信頼できるものであろう。彼、曽野明氏は、この吉田外交の対ソ交渉が、国内の権力争いの為に、言い換えれば鳩山一郎という政治家個人の野心の為に、失敗に終わった事を、悔みてもあまりある事である、と公の場で証言していた。
こんな交渉経過を知らないで、首相の座に就いた鳩山一郎は、吉田がアメリカや西側諸国との講和条約締結に成功したのなら、自分はソ連との講和条約締結を実現しよう、という程度の軽薄な考えで、対ソ交渉に臨み、国交正常化は実現した。だが、肝心の北方領土返還の好機は完全に失われてしまった。国内政治の派閥抗争には巧みだが、世界の外交交渉の経験を持たぬ鳩山は、ソ連の焦りも見抜く事が出来ず、自ら下手に出てソ連との国交正常化を日本側から求めてしまった。ソ連から見れば、渡りに船であり、一石二鳥、三鳥の甚だ有利な外交交渉であった。(つづく)
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