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2009-10-12 00:00
「日本人なら日本語で演説せよ」とは時代錯誤
吉田 康彦
大阪経済法科大学客員教授
10月8日付の産経新聞で評論家の潮匡人氏が、鳩山首相が気候変動サミット、国連総会などでの演説を英語で行ったことを批判して、「(英語でやるとは)植民地根性丸出しではないか。日本人は日本語で堂々とやれ!」と叱咤している。潮氏は、1951年のサンフランシスコ講和会議で吉田茂首相が英語で演説しようとしたのを諫め、「日本人は日本語で堂々とやればいいじゃないか!」と主張して、巻紙に毛筆でしたためた演説原稿を吉田に読ませた白洲次郎の“大和魂(?)”の故事を引いているが、これは事実に反するようだ。9月に放映されたNHKドラマはフィクションだ。
米国の公文書館のアーカイブによると、米側全権団員のディーン・アチソン(元国務長官)が「吉田の英語は会話なら通じるが、発音が不明確で演説では理解できないので、日本語でやってくれ」と要請。吉田はそれに従ったとされている。白洲の諫言で日本語にしたわけではないというのが真相のようだ。とすると、吉田が(得意の?)英語ではなく、日本語で演説したことこそ植民地根性なのだ。
潮氏に反論したい。国際会議、とくに各国首脳の集うサミットや国連総会では、英語以外はすべて(たとえフランス語など他の国連の公用語でも)マイナーな言語で、とりわけ日本人にしか通用しない日本語で喋り、それを同時通訳があらかじめ渡された英語の草稿を読み上げるのでは、意思伝達の効果という点で天地の差がある。お国訛りがあっても、直接、英語で訴える方がはるかに効果があることを国連勤務10年の小生が証言する。その点、鳩山首相の英語は堂々としていた。名門スタンフォード大学で博士号を取得したというからには当然だが、奇を衒わず、真面目に訴える姿勢が自然体で出ていた。発音も、日本人には苦手なLとR,BとVの区別を意識的に強調し、下読みを十分にしてその場に臨んでいたことをうかがわせた。
英語でスピーチをするのは植民地根性でも何でもない。英吾はたまたまアングロ・サクソンの母語ではあるが、いまや世界語(リンガフランカ)なのだ。白洲とは時代が違う。言葉では誇り高いフランス人も、こぞって英語を喋るようになった。フランスでも小学校から英語必修になり、高学歴のフランス人は誰もが英語で自由に議論する。逆にいうと、国際会議出席の頻度の高い日本の首相、外相、財務相、環境相らには英語で議論し、演説もできる人材が求められているということだ。民主党が官僚主導でなく政治主導を唱える以上、大臣、副大臣には英語に堪能な人材を任命するだけの実力を備えていなければならないということだ。
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