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2009-12-01 00:00
(連載)なお残る国民投票に委ねることの懸念(1)
玉木 洋
大学教授
角田氏からの丁寧な御返答に感謝する。ご返答の内容を踏まえ、私の意見に若干の補足説明をさせていただきたい。民主主義に基づく団体において、団体を構成する人々が団体の意思を決定をする際には、構成員がいろいろ検討をして、議論をしても、なお意見が割れてしまえば、結局のところは、最後の手段として構成員全員による多数決を用いる、という方法があることは確かであろう。なお、そういった場合多数決によって得られた結論を「正しい」として扱うほか、方法がないことも認識しているつもりである。
しかし、民主主義における団体の適切な意思決定方法は、そのような団体の全構成員による多数決を行うことだけではない。合理的な意思決定方法について、それが団体の全構成員(の多数)によって了解されている(ことが究極的に確保されている)ならば、個々の案件に全構成員が直接意見を表明せず、その他の方法によって意思決定をしても、これもまた民主主義における適切な意思決定方法といえるのではないだろうか。国の政策について国会が立法の権限を与えられており、また国家としての法的な判断については最高裁判所がその最終の権限を有している、といった日本国憲法下の制度は、まさにそういう制度であるといえるだろう。国連において重要事項指定決議がなされた案件において3分の1を僅かに超える少数者が拒否権を持つといった多数決ではないが民主的な決定方法の例もある。主権は国民に由来するものではあるが、主権者といえども全国民が直接に常に国の政策課題について十分な検討や議論を行い、的確な判断を行っていくことは極めて困難である。
だからこそ、基本的な政策や政治姿勢、人物などについて信頼の置ける代表者を国会議員として選び、その代表者が、国民の利益や意向を踏まえつつ、国家全体としてのあり方を考えて(専門家の助力を得つつ)結論を出すという代表民主制が、我が国を含め、多くの国で採用されているのであろう。もちろん、主権が国民に由来する以上、個々の国民の意向こそが問題になるような案件や、主権の根底に関わるような案件については、国民投票によって国民の意思を確認し、それに基づいた決定をすることが適切ないし必要となるであろう。それは例えば、現行憲法で定められている国家としての意思決定の根底を決める憲法を改正する場合、選挙によらず司法権をゆだねられている最高裁判所判事の罷免の要否を判断する場合、といったようなものであり、主権の一部を譲渡するような国家連合体(EUのようなもの)に加盟するといったような場合もそれに当たるであろう。しかし、それ以上の政策課題について国民投票を採用すべきかどうかは、案件の性格やそのときの国家国民の状況等から適切な方法を選択していくべき相対的な判断の問題であるのではないかと考える。
ここまでは、角田氏ともしかするとある程度意見は一致できるのかもしれない。しかし、ここから先は、残念ながら角田氏と私の意見は現時点では異なるように思われる。私は、国民投票にかける案件は限定的にすべきであり、今のところ我が国においてそれを積極的に採用べき案件があるとは考えず、むしろ国民投票のマイナス面を懸念する、ということなのである。今日、代表民主制でありながらも、相当多数の得票がないと当選できない小選挙区制であることも影響して(と私は考えているのだが)、ポピュリズム的政策によらないと国会議員に当選しにくい、というところが出てきているように思われる。それでも政権は、歳出と同時に歳入を見ながら行政を進めていく責任があり、いやおうなく現実を踏まえた判断を迫られていく。しかし、国民投票となれば一層ポピュリズム的危険性は増すのではないだろうか。例えば「消費税を増やすべきか」「国債を増発すべきか」「子供手当てを創設(拡大)すべきか」といったテーマを想定すると想像しやすいが、国民投票の結果は、個々には特定の方向を示しても、全体としては整合性なく矛盾するといったことも容易に起きるであろう。(つづく)
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