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2010-02-02 00:00
(連載)日米関係の将来と普天間基地移設問題(1)
中岡 望
ジャーナリスト、国際基督教大非常勤講師
日米関係が大きな岐路に立っている。『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された鳩山由紀夫首相の論文記事は、新しい日米関係のあり方を論じたものであった。論文は日米関係の「イコール・パートナーシップ」を主張し、同時に「東アジア共同体」の設立を呼びかけるものであった。同時に、アメリカの市場至上主義政策の限界を指摘するものでもあった。そうした議論は特に珍しいものではなかった。ただ日本の新政権の方向性が見えない時に、新首相が行った問題提起は、アメリカ政府の関係者に不安感を抱かせたことは間違いない。
さらに「東アジア共同体からアメリカを除外する」という発言は、アメリカ政府を苛立たせたことは間違いない。途中で鳩山首相はアメリカを排除するという主張を取り下げ、「日米同盟は日本の安全保障の基本であり、新しい時代に向けてさらに深化させる必要がある」と訴えた。日米関係の最初のスタートは、ある意味では最悪のものであったかもしれない。しかし、それはあくまでも議論の段階での話に過ぎない。具体的な政策での対立ではなかった。
普天間基地移設の問題は、極めて具体的な問題であり、具体的な結論を出さなければならない問題であった。2009年2月、クリントン国務長官が来日した際、外務省の飯倉別館で当時の中曽根外務大臣との間で「在日沖縄海兵隊のグアム移転協定」の調印が行われた。1996年に「沖縄に関する特別行動委員会」が沖縄の海兵隊をグアムに移転すべきであるという勧告を行った。それを受けて、2002年7月に日米政府は普天間基地をキャンプシュワッブの沖に移設することを確認。さらに2006年5月に日米政府は共同声明で普天間基地移転に関連する19項目の再編プログラムを明かにした。同時にアメリカ政府は8000名の海兵隊をグアムに移転することを正式に合意し、総費用100億ドルのうち日本が60億ドル負担することも決まった。2009年2月の協定調印は、普天間基地の移設と海兵隊のグアム移転に関する最終的な合意書であり、アメリカ政府はこの協定を「法的な拘束力のある政府合意である」と解釈していた。
2009年2月16日、寒風が吹きさらす羽田空港に降り立ったクリントン長官が羽田の迎賓館で行った演説の最初の言葉は「日本はアメリカのアジア外交のコーナーストーン(要石)である」というものであった。最近のアメリカのアジア外交の焦点が中国に移りつつあるのは間違いなく、誰の目にもアメリカ外交の中で日本の存在が希薄になりつつあるのは明かであった。日本経済の相対的な地位の低下もあり、「日本パッシング」という言葉が日米関係を表現する言葉として頻繁に使われていた。さらに1988年にクリントン大統領が訪中をした際に日本に立ち寄らなかったことで、その言葉はさらに現実味を帯びていた。クリントン国務長官の発言は、そうした日本の雰囲気を察した上でのものであることは間違いなかった。オバマ政権としては最大限に配慮した言葉であった。(つづく)
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