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2010-03-22 00:00
鳩山総理の言葉「Trust me」の軽さ
宮崎 厚
ベンチャー企業顧問
鳩山総理と平野官房長官は、普天間問題で米国に対して、それぞれ「trust me」と言ったそうですが、こんな言葉を使えば、米国人はビックリするのではないでしょうか? どうして「believe me」あたりにしなかったのだろうか?相手に命令文で「trust」を要求することが、果たして成り立つのでしょうか?
私は英語にそれほど詳しくありませんが、「trust」なる言葉で思い出すのは、米国ドル紙幣に書いてある「in Dod we trust」なる言葉です。かつてピューリタンが米国に移住し、独立戦争を経て、建国の時にフリーメイソンのメンバーであった人たちが、「In God We Trust」として誓いの言葉として用いたものです。「trust」とは、自分が、ピューリタンとして神に対して述べる事であり、相手に要求する意味ではないような気がします。
もし私なら、「In People We Trust」とか、「In the U.S. People we trust」などとでも言います。それ以上に思い出すのは、若い頃に読んだマックスウェーバーの書いた「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という本です。これを読んで、職業を通じて神に奉仕するような倫理観が資本主義を発展させたということ、まさに精神の自由主義、政治の民主主義、経済の資本主義が近代社会の根底にあるということを理解し、感銘を受けたことがあります。確かその本には「官僚主義の当時のゲルマン・ドイツよりも、プロテスタントの信奉者の多い自由で民主的なアングロサクソンの方が、社会の停滞した時に強さを発揮する。なぜなら官僚制は皆が責任の回避に没頭して社会の混乱を招く可能性があるが、元々自由で個人が神に奉仕する気持ちで職業に没頭していれば、社会混乱とは無縁である」というようなことも書かれていたような気がします。
戻って、「trust」とは、そのようなプロテスタントたちの神の前で平等な人々の倫理観を表した言葉であって、倫理観の無いものに対しては「in Gold We trust」の連中としてさげすむケースもあるようです。まあ、そんな事で、米国と付き合う上で、オバマ大統領が、金融資本主義の崩壊の時代に当たり、暫く忘れられていた「trust」という言葉を多用した演説を行い、米国の中にこの言葉を蘇らせた事を目の当たりにして、「trust me」とは少し軽すぎませんか。相手国の文化を軽んじてはなりません。
気の優しい方とお見受けする鳩山総理は、日本国民を貧乏で気の毒だと思うよりも、「in People We trust」と、「日本国民を信頼する」と、言って頂きたい。それでこそ民主主義です。国民を信頼せずに良い政治などありえません。社会主義や共産主義は国民を信頼せず、将軍様がかわいそうな人民のために手を差し伸べるなどという詭弁を使います。民主主義の基本は、国民の潜在能力を信頼する事です。「自分を信頼してくれ」などというのは、日本語でもおかしい。良い政治を行えば、日本国民が主語となって鳩山政権を信頼します。日本がこれから世界のオピニオン・リーダーとして、世界人類の為に尽していけるよう、地球環境を守り、世界の平和と発展を守り、日本人の正義感と倫理観に基づく誇りとプライドを守っていただきたい。「日本人の命を守る」等と聞いたら、日本はこれから軍国主義化かと、錯覚しそうです。
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