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2006-06-01 00:00
連載投稿(3)追悼施設はなんのためにだれを祀るのか
小池 享
大学教員
最後に、非宗教的追悼施設の建設問題について述べます。政策委員会に提出されたタスクフォース起案の提言中間案では、靖国神社に代わる非宗教的追悼施設の建設の必要性を自明の前提として、いきなり施設建設の方法論(施工、デザイン、入札方法等)のような枝葉末節の議論に入っていますが、国民全体の問題意識からずれているのではないでしょうか。反対論に対してまず丁寧な反論をしてこそ、賛成論の説得力も増すと思います。
私自身は、施設建設に反対するものではありません。靖国神社が合祀に固執し、国として神社に分祀を強制できない以上、国としてやるべきことは国の追悼施設を建設することであり、それは非宗教的施設とならざるを得ないからです。しかし、その場合には、この追悼施設はなんのためにだれを祀るのか、その理念を明確にすることが必要です。そしてその理念とは、この国土と国民を守るために戦場に散ったひとたちを追悼する以外のなにものでありようはずがありません。
「第3回政策委員会メモ」を読むと、「過去の戦争の被害者を祀る」というタスクフォース起案の提言中間案に対して、「この表現には問題がある。戦死者だけでなく、一般戦災者も祀るという意味か。さきの福田康夫官房長官の諮問会議は『敵兵の死者も祀る』としていたが、これでは祖国のために命を捧げた戦死者の英霊に対する侮辱であり、グロテスクだ。国のために死んだ戦死者を追悼するという原点を守ってほしい」とのコメントがあった由ですが、まったくの正論だと思います。ぜひこの指摘に配慮してほしいと思います。
そもそもなぜ戦死者を追悼するのか、という原点に遡って考えてください。いかなる組織も、そのために殉じたひとを追悼しないならば、かならず滅びると言ってよいでしょう。国家や国民という組織だけが例外であるはずはありません。私は日本という国は、蒙古来襲の戦死者たちにまで遡ってかれらを追悼する施設を創るべきだと思います。すべてのひとを祀ることは、だれも祀らないことになることを知ってほしいと思うのです。
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