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2010-06-09 00:00
「脱小沢、入巧言」では危うい:菅新政権
杉浦 正章
政治評論家
詩経に「巧言流るるがごとし」とある。「耳に響きのよい弁舌に注意せよ」との戒めだが、首相・菅直人の記者会見は、さすがに党内きっての論客で、市民運動出身のアジテーターの面目躍如たるものがあった。しかし、重要政策で、何も踏み込んだ発言がなかった。むしろ、普天間、政治とカネ、消費税で責任転嫁とも取れる逃げの姿勢に終始した。やはり、幹事長・枝野幸男も“論客”だそうだが、この政権は「脱小沢・入巧言」で参院選挙を乗り切る腹とみた。「主見出しを取るのに苦労した」と新聞社の編集局幹部が漏らしていたが、確かに具体性に欠けた。菅の記者会見を分析してみれば、「政治とカネ」の小沢喚問は、「幹事長中心に判断していただきたい」と逃げ、普天間問題は、「官房長官のところで検討」だ。消費税率引き上げに至っては、「一党一派を越えた議論を」と、大きく網をかぶせた。弁舌が巧みだからよどみなく、その時は納得するが、深く分析すれば、「待てよ、何も無いじゃないか」という結論に達する。前政権が倒れるまでに至った重要課題で、自らの意見を述べていないのである。意思表示を回避し、もっぱら守りに徹する姿が浮き彫りになっている。
背景には、「脱小沢」さえ達成すれば「英雄」になれる、というマスコミの風潮に、フルに軸足をかけていればよい、という思惑が垣間見られる。「脱小沢」とは民主党の内部事情そのものであり、国家の戦略・施策とは本来関係ない。党・内閣人事で「脱小沢」を実現したから、国民の生活が向上し、鳩山が壊した日米関係を再構築できるわけではない。「脱小沢」に依存する政権で支持率が上がっても、むなしさだけが残る。この守りの姿勢を象徴しのが、菅が記者会見や記者団によるぶら下がり取材などへの対応について、「取材を受けることによって、そのこと自身が影響して政権運営が行き詰まる、という状況も感じられている」と発言した点だ。これは問題をはき違えている。鳩山由紀夫の例に見られるように、問題は発信源にあるのであって、取材は政権運営を行き詰まらせてはいない。この菅発言は、言論規制につながりかねない危険性を帯びている。
官僚をかつて「霞が関なんて成績が良かっただけで、大ばかだ」と述べたことなど全く忘れたように、「官僚の皆さんこそ政策のプロフェッショナル」と褒めそやし、「官僚の力も使って、政策を進める」と180度転換した。これも官僚無視の普天間失政が象徴する「小・鳩体制」への反省を土台としている。「言あるものは、必ずしも徳あらず」(論語)を地でゆく発言だ。当面は「小・鳩」の逆張りをすればいいから楽だ。「官邸を修行の場との覚悟で、あらん限りの力を尽くす」とも述べたが、国家の最高の意思決定の場である官邸で、修行されてはたまらない。官邸は仏教界なら修行済みの高僧が入る総本山だ。「修行は四国巡礼でやってくれ」と言いたくなる。
一方、幹事長に就任した枝野もよくしゃべる。しかし「理路整然・意味不明」なところが多い。特徴は、聞かれたことをいったん外してあらぬ事をしゃべり、その間考えて本筋に触れるという発言方法だからだ。これは、普通「論客」とは言わない。本人は、弁護士出身がよほど自慢らしく、テレビで「弁護士出身ですから」を2度繰り返し、司会者から「弁護士はどうでもいいが」と言われる始末だった。小沢喚問問題も、「防御権」を持ち出したが、国会は法廷の場ではない。証人喚問を防護権を理由に否定して、政治的・道義的責任を転嫁してはならない。相変わらずの大衆迎合型人事が参院議員・蓮舫の行政刷新相への起用だ。この政権は、テレビ向けの弁舌巧みなパフォーマンスだけで、難局を乗り切れると思うと間違う。そのうちに「蝦蟇(がま)日夜鳴けども、人之(これ)を聴かず」(太平御覧)となるだけであろう。
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