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2010-07-01 00:00
(連載)藤原正彦論文「日本国民に告ぐ」を批判する(1)
吉田 重信
元外務省員
『文芸春秋』七月号は、藤原正彦.お茶の水女子大教授の「提言/一学究の救国論―日本国民に告ぐ」と題する一文を掲載した。巻頭論文扱いである。おどろおどろしいタイトルの論文は、教える女子大生たちの「自虐的な歴史観」を嘆くことから説き起こして、戦前の日本の対外行動をどう見るかという、いわゆる「歴史観問題」を主要テーマとしている。その「意気込み」たるや、なにやらヒットラー総統の『わが闘争』や、割腹前、自衛隊員に向かってアジ演説をした作家.三島由紀夫の雰囲気を想起させる。だが、これまでの右翼言論人たちに共通する「歴史観」の繰り返しに過ぎず、とりたてていうほどの新鮮さはない。曰く、「盧溝橋事件は、中国側のそそのかしであり、それによって日本軍の中国侵略戦争の拡大がはじまった」、「ルーズベルト米大統領は、日本を追い詰めて、対米戦争の端緒を開かせた」、「欧米諸国はいずれも帝国主義、植民地主義をやってきたのに、同じことをやった日本が責められるのは不当である」、「米国は、占領した日本に自分たちに都合によい東京裁判史観と自衛権否定の平和憲法を押し付け、日本人を精神的に去勢し、日本をアメリカに隷属化させた」、「南京事件の犠牲者の数は、中国によるでっち上げである」などなどである。
これらの歴史観を論証するには、これまでのぼう大な記録や史的資料、学術的研究の成果等を踏まえた議論が必要なのは当然である。が、藤原教授は、きちんとした検証もせずに、自分に都合のよい「事実」を並び立てて、それを論拠にしている。そのずさんな論及ぶりは、一流大学の教授のものとはとうてい思えない。この程度の論法で、教授が「問題意識を欠く」として嘆き、批判する女子学生に通用するというのであろうか。 まるで女子学生を侮辱するものといわざるをえない。そのずさんさの一例をあげれば、対米戦争を始めた当時の内閣の責任者.東条首相が「天皇陛下の前で号泣した」という記述である。筆者の調べたところでは、対米戦争の緒戦の勝利に、東条首相たちは「欣喜雀躍した」との記録はあっても、「天皇の前で号泣した」との記録はない。藤原教授が「東条号泣」説に言及するのは、まさかとは思うが、「東条は対米戦争には反対だった」という虚構の歴史の創造を狙ってのことであろうか、などと勘ぐりたくなる。
藤原教授のあげた諸論点は、その粗野にしてずさんな論法の故に、筆者はいちいち論駁する気にならないし、その必要も感じない。ただし、主たる主張に限って論駁しておこう。盧溝橋事件や対米戦争は、藤原教授の説くように、たとえ百歩譲って中国や米国によって挑発されたものであったとしても、日本の指導者たちが、これを見抜けずに、対中侵略戦争を拡大し、対米戦争の端緒を開いたのは、弁解の余地のない愚挙であったといわなくてはならない。それは、敗戦後、米占領軍によって日本民族が「骨抜き」にされた結果でないことは、自明である。むしろ、明治憲法体制下のもろもろの制度的欠陥、指導者たちのセクショナリズム、政治家や重臣たちの保身意識、戦意を煽った言論界、などの複合的な要因によるものであった。しかも、政策決定者の任期がそれぞれ短かかったこともあって、指導者たちの責任感は全く希薄で、一人の指導者のもとで、それなりに一貫性があったナチス・ドイツの場合に比べても、始末が悪い面があった。
また、「帝国主義や植民地主義は欧米諸国がやった。同じことをやった日本は悪くない」に至っては、子供の言い訳に等しい「論理」である。日本の指導者の誤りは、帝国主義や植民地主義という世界的潮流が既に終わりつつあることを理解できなかった点にある。ここにこそ、連合国側による東京裁判史観の普遍的妥当性があると筆者は考える。現に、第二次世界大戦後、欧米諸国はその植民地を次々と独立させることによって、植民地主義の清算に努め、また、中国を含む戦勝国側は、国連という組織を設立して、戦争を防止し、旧時代のそれに代わるシステムの構築を目指したのである。しかも、藤原教授の日本の「帝国主義・植民地主義弁護論」は、日本が犠牲にしたアジアの民衆への視点をすっぽりと欠いている。21世紀の日本からこのような乱暴な論調が出るようでは、日本が必要としているアジア諸国の理解と共感を得ることは不可能になる恐れがある。(つづく)
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