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2010-08-27 00:00
(連載)日米中関係における軍事の論理と政治の論理(3)
角田 勝彦
団体役員
この軍事の論理に対し、安全保障問題に関する政治の論理があり得る。すなわち軍事面にこだわらず、実戦を避けるための方策を検討する論理である。集団安全保障もその一部である。国際関係の基本認識は友愛構造で、敵とはサムサムの関係になる。
我が国は本来、この考えを中心としている。まず日本国憲法には、戦争放棄の第9条に加え、シビリアンコントロールを裏付ける第66条第2項(「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」)がある。つまり、国防・安全保障政策の基本的判断や決定は、国民が選挙で選出する政治家が行うのが建前である。これは、もちろん文民である政治家が軍人(武官。官僚の一部)より優秀だからではない。軍事は専門的知識を必要とするし、戦争は勝利を至上の目的とするため、孫子は「將は軍中にあっては、君命といえども従うことができないときがある」旨喝破している。現場の判断を優先するから、軍事の分野ではむしろ軍人の決定が優先されるべきなのだが、政治家は、主権が存する国民の代表という正当性を体現しているから、その例外とされるのである。なお、非核3原則も政治の論理の一環である。
軍事の論理を無視した政治の論理の主張は絵空事になる。とくに民主国家でない相手に対してはそうである。この意味で、たとえば非核国である我が国がMDを推進するのに問題はない。また、8月18日、報道されたように、新たに策定した沖縄・南西諸島の防衛警備計画に基づき、12月、米海軍第7艦隊が支援する日米共同統合演習の一環として、初の本格的な離島奪回訓練を行うことに遠慮は無用である。
他方、軍縮及び「核兵器なき世界」の追求は絵空事ではない。また軍事力の増強のみで安全保障が達成されるものではない。経済的相互依存や国際交流の拡大は、軍事力以上に安全保障に貢献できる。要するに軍事の論理と政治の論理は混同してはならないのである。11月中旬のオバマ訪日に際しては、我が国は、日米間で合意される軍事の論理に十分配慮しつつ、「不戦」と「非核」を目指す政治の論理に基づき、軍事面を超えた日米同盟の再構築と安定した日米中関係の実現に努めるとの決意を表明すべきであろう。(おわり)
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