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2010-09-26 00:00
(連載)「敗北の屈辱感」から何を学ぶか(1)
角田 勝彦
団体役員
中国人船長の突然の釈放で、日本国民のほとんどは、敗北の屈辱感を噛みしめさせられている。政府は「検察の判断」と強調しているが、菅内閣の政治決断に基づくことに疑いはなく、これまでの対処ぶりの拙劣さとともに、9月24日の釈放決定の責任を問う声は大きいだろう。内閣支持率低下はもちろん、国民による次の政権選択に影響を与える可能性もあろう。しかし「負けるが勝ち」とまで達観しなくても、「損して得取れ」という言葉もある。これを契機に日米中のあるべき姿ととるべき具体的施策について、国論の統一への進展が見られるかも知れない。菅内閣は、そのため努力する責任がある。
24日午後の記者会見において那覇地検の鈴木亨次席検事は、処分保留の理由について巡視船の損傷が航行に支障が出るほどではなく、負傷者がいなかったことをあげたうえで、「日本国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、これ以上身柄を拘束して捜査を続けるのは相当でない」と明言して、本来の検察の判断を超える特別の判断であることを示唆した。柳田法相が同日午後強調したように、指揮権の行使はなかったのかも知れないが、8日未明海上保安庁による公務執行妨害容疑での船長の逮捕後の送検決定自体は、政府の了解(民主党代表選のさなか総理官邸を仕切ったのは仙谷官房長官)を得て行われており、今回の釈放に菅首相、仙谷官房長官、前原外相らの意向が反映されたのは明らかである。
「国内法にのっとって対応した」とか「中国の主張を勘案したとしても、それは検察(しかも那覇地検)である」ととりつくろっても通らない。逆に領土問題、日中関係に関連する今回の重要事案に「政治」が介入しなかったと強弁するのであれば、「政治主導」の看板は下ろすべきだろう。菅首相は、国会などで問題にされて、国民の信を失う前に、今回の決断が検察などの判断ではなく、政府首脳の決断であることをいさぎよく認めるべきである。
19日に日本が船長の拘置期限を29日まで10日間延長して以来、中国の抗議は温家宝首相の21日ニューヨクにおける「即時、無条件釈放」要求、そして「応じなければ、さらなる対抗措置を取る」とするところまでエスカレートした。オリジナル演説では「日本が知らないふりをすれば、中国は必要な強制的措置を取らざるを得ない」とする強硬なものであったと言われる。なお「強制的措置」は、国連憲章の「軍事的措置」を想起させる異例に強い表現であるが、検討された追加措置には尖閣諸島海域への艦艇派遣といった強硬手段も含まれていたと伝えられ、24日夜には、中国農業省所属の漁業監視船(軍艦類似)2隻が尖閣諸島の領海付近に姿を見せ周囲を航行している。23日発表された河北省の「軍事管理区域」でのフジタ社員4人の拘束も、「中国ではスパイ容疑には最悪、死刑が適用される」との危機感で関係者を揺さぶった。24日検察関係者が東京に集まっての釈放決定には、これが大きく影響したと報じられる。(つづく)
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