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2010-12-12 00:00
もうきれいごとを言ってられない日本
河東 哲夫
元外交官
これまでの日本は、非白人国で唯一産業革命を達成したので、晴れ着を着てやれ「脱亜だ」の、やれ「自由」だの、やれ「市場経済が重要だ」のと言ってこられたし、僕も「個人の自由こそが、経済発展の究極の目標だ」と心から信じて生きてきた。そしてロシアやウズベキスタンで勤務したときも、そういうことを人々に説いてきた。だがこの僅か3年ほどのことだが、日本の国際的立場の下落はひどい。世界へ出て講演をするにしても、いったい日本経済のどこを売り物にするかを考えてしまう。日本の明治以降の経済発展は自国資本がその大きな部分をになったことが特徴なのだが、現在の中国、インドのように外資を大量に誘致して急速な発展を遂げようという国の人間にとって、「日本経済の奇跡」はもうあまり魅力を感じない話なのだ。
それでも2年前には「I-Podの中身は殆ど日本製部品だ」と言って、負け惜しみも言っていられたのが、そのI-Phoneですら、今は韓国製に席巻されてしまっている。日本にもう余裕はない。事態は韓国経済、中国経済とのサヴァイヴァル競争の様相を呈してきた。「産業革命以降、世界の経済はプラス・サムになった。そこではものを作って売れば、富は無限に増え、それを分配していけば、社会問題の多くは解決できるようになった」と、僕はこれまで学生に言ってきたが、日本はもうそういうことができなくなった。国内でものは売れず、輸出しようにも価格競争力を失っているからだ。
結局は、世界全体の富の量はそんなに急には増えない中を、輸出国たちがシェアを奪い合っているのが実情だから、日本にとって事態は大きくゼロサムになってきたのだ。もう自由貿易とか、環境保護とかと、優等生面をして、きれいごとを言っていられる場合ではない。
世界金融危機の前は、日本も垂れ流されるドルの恩恵を受け、輸出が空前の活況で賑わっていた。アメリカの経済がふくらんでいくかぎり、東アジアの経済は安泰で、そこでは「国家」というものを前面に立てて、角つき合わせることが馬鹿らしく思われた。もともと西欧の近代国家というものは、植民地獲得戦争を勝ち抜くための集税装置、徴兵装置として整備されたものだから、植民地主義、そして冷戦が終わってみれば、もう無用の長物と化していたのだ。だが、サヴァイヴァル競争では、情けないことに「国家」にしがみつくしかあるまい。日本人の大多数は、世界に討って出て、稼いでくるだけの語学力も、気概もないのだから。でも、何でもありの、みっともないサヴァイヴァル・レースだけはしたくない。日本人にもいろいろいるが、やはり儒教風の高潔なところを維持しながらやっていって欲しいし、そういう人たちがまだまだ大多数なのだ。
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