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2011-01-08 00:00
相互依存で戦争を予防できるのか?
河村 洋
NGOニュー・グローバル・アメリカ代表
世界史は諸国民による紛争の繰り返しであった。経済、文化、社会活動などでの相互交流があっても、戦争と流血の惨事を防止することはできなかった。中国の「平和的台頭」に関して言えば、ハト派の論客達は「経済や観光を通じて相互依存を深めてゆけば、欧米との緊張も緩和するであろう」と主張する。しかし、歴史は人的交流によって諸国民と諸文明の衝突を防げるという考えを支持していない。一度、戦略的権益が脅かされるか、基本的な国家理念が否定されれば、各国は互いに対決するのである。まず、第一次世界大戦前の英独関係について述べたい。両大国は植民地獲得や製造業で熾烈な競争を繰り広げていたものの、19世紀末から20世紀初頭にかけては互いに良好な関係であった。ビクトリア女王自身がドイツ系であったし、王配のアルバート公もドイツのサクス・コーブルグ・ザールフェルト公国出身であった。女王の子女の中にも、長女のビクトリア王女をはじめ、ドイツの王子や王女と婚姻関係を結んだ者がいた。
非常に興味深いことに、セシル・ローズが南アフリカでの成功によって得た資産を基にオックスフォード大学留学生を対象としたローズ奨学金を設立すると、英領植民地やアメリカと並んでドイツも奨学金給付対象国になった。このことは、イギリス帝国主義の権化ともいうべきローズが、当時の世界的な安定と繁栄のためには緊密な英独関係が必要だと考えていたことをを示す。不幸にもカイザー・ウィルヘルム2世が、大英帝国の死活的国益を脅かすような拡張主義政策に乗り出したために、そのような麗しき相互依存への希望は無に帰してしまった。カイザーがベルギーに侵攻すると、イギリスのハーバート・ヘンリー・アスキス首相には、もはやドイツと戦う以外の選択肢はなくなっていた。
経済の相互依存は、パール・ハーバー攻撃の歯止めともならなかった。太平洋戦争勃発時に、日本は石油、ゴム、錫、屑鉄といった天然資源をアメリカと東南アジアにあったイギリスとオランダの植民地に依存していた。また、日本にとってアメリカは絹やその他の繊維製品の最重要輸出市場であった。アメリカとの戦争は日本経済の破滅を意味した。にもかかわらず、東京の軍事政権はアメリカとの戦争に突入した。1934年にベーブ・ルース一行が親善野球のために来日した際には、日米両国の間で一時的に友好のムードが高まったが、7年後の戦争を防ぐことはできなかった。
現在、世界秩序に挑戦しているのは、中国、ロシア、イスラム(テロ)、ならず者国家などであるが、これらの脅威について議論する際に「相互依存」によってこうした相手を飼い馴らせると考えることは甘い希望的観測である。冷戦後の歴史からの休暇の間に、こうした怪物達が餌を貪って成長してしまった。特に中国は、我々の自由世界秩序を食い尽くし、自国の専制的な指導者達の生存機会を最大化しようとしている。彼らの行動規範は、我々のそれとは完全に異なることを知る必要がある。軍事的抑止力の向上と同盟国との戦略提携を強化せずに、相互依存の強化だけによってこうした相手を飼い馴らせると考えるならば、それは、歴史の教訓からなにものをも学ぼうとしないことになるのではないか。
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