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2006-07-30 00:00
「本来の戦死者」を人質にとる両極端の主張を排す
伊藤 憲一
日本国際フォーラム理事長
日本の東アジア外交が閉塞状況にあるなかで、昭和天皇のご発言メモが公開され、「靖国神社問題」に対する国民一般の関心が、急速かつ着実に高まっています。もちろん、外国の干渉を受けて、これに譲歩するがごとき動きとして、この問題を議論することは問題外でありますが、純粋の国内問題として取り上げてみても、この問題の現状は放置しておいてよいようなものではないと思われます。日本国際フォーラムの政策委員会でもこの問題は議論されておりますが、この機会にこの場を借りて、日本国際フォーラム理事長としてではなく、個人伊藤としての、この問題に対する考え方を申し述べ、各位のご批判、ご叱正を仰ぎたいと考えます。
私見では、この問題は、本来われわれが追悼すべき対象はだれなのかという一点に帰一する問題のはずであり、それは「祖国のために戦い、戦場に倒れた戦死者」以外ではありえないはずの単純かつ明快な問題だったはずであります。それがそうではなく複雑化したのは、政治的思惑をもった二つの極端な主張がなされているためであると、私は考えています。
右には「あの戦争を開始したことについて、国家および国民に対して責任があり、かつ戦死したわけではなく、戦後病死あるいは刑死したひとびとを含めて、一般戦死者と区別せず同一視して追悼対象に含めるべきで、分祀は認められない」という靖国神社の主張があり、左には「追悼と平和祈念を両者不可分の一体として考える必要があり、このために戦死した将兵に限らず、民間人も、さらには外国の将兵や民間人も対象とすべきで、その際この施設は平和祈念が目的であって、慰霊や鎮魂は目的ではなく、追悼すらも独立した目的とすべきではない」という平成14年12月の福田康夫前官房長官私的諮問懇談会報告書の主張があります。
いずれも「本来の戦死者」を人質にとって、あるいは「開戦責任のある指導者」あるいは「敵国の将兵」に対する参拝を日本国民に強要しようとするものであります。なお、ここで私が「開戦責任のある指導者」という言葉を使い、「A級戦犯」という言葉を使っていないことにご留意ください。この二つの極論を排し、本来あるべき議論に帰ることが必要だと考えます。靖国神社が分祀を認めれば、問題は一番簡単に解決しますが、靖国神社が「独立した宗教法人」の立場を根拠としてその解決を拒否するのであれば、「国立の非宗教的追悼施設」を建設する以外に解決の道はありません。しかし、同時に私が強調したいのは、そのような「国立の非宗教的追悼施設」は、福田官房長官懇談会報告書の「平和主義」の延長線上に建設するものであってはならないということであります。それはあくまでも、本来の目的である戦死者追悼のために建設する施設でなければなりません。これは本質的に日本国家、日本民族の「組織防衛」のための施設に他ならないからであります。将来の自衛隊の戦死者を追悼するための施設でもあります。
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