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2011-01-11 00:00
仙谷の憲法論こそ“無理筋”
杉浦 正章
政治評論家
官房長官・仙谷由人が実態以上に“大物化”している。幹事長・岡田克也までが仙谷を「司令塔として機能している。少なくとも内閣の屋台骨であることは確かだ」と賞賛したのには、驚いた。国会対策上の責任がある岡田にとって見れば、改造での仙谷更迭はスムースな国会運営にとって不可欠であり、何とか実現させたい一心であろうが、褒めすぎだ。仙谷は国会で暴言を繰り返し、生硬な法律論を振りかざす傲岸不遜さが問責されているのであり、内閣のつまずきの“核心”を褒めちぎることはあるまい。近ごろ政治家も、マスコミも、10日もたつと原因を忘れて、現象ばかりを追い、何故こうなったかを言わない。
仙谷問題もなぜ問責決議が可決されたのかを忘れて、憲法論が我が物顔でまかり通っている。いわく、「衆院は、内閣不信任を決議し、総辞職を求める権限を持つが、首相はそれに応じず、衆院を解散して、対抗できる。参院はそうした憲法上の権限を持たない第二院である」というものだ。第二院の議決は“おしかり”程度と心得ればよい、というわけだ。憲法は首相指名や解散権で衆院の優越を認めており、その衆院が指名した首相の人事権を、参院が揺さぶることは許されないというわけだ。仙谷はこの憲法論を振りかざして、1月10日も「衆院が信任している限り、辞めなければいけないものではない。法律論として無理筋だ」と辞任を拒否しているが、「無理筋」と言う方が「無理筋」だ。問責決議に衆院の内閣不信任案のような法的拘束力がなくても、参院が一院の意思として表明すること自体に、政治的な意義、重要性があるからだ。最近では顔色が冴えなくなって観念し始めたかにも見える。法律論より政治論が優位に立ち始めたからだ。
それもそうだろう。臨時国会における仙谷の「しゃしゃり出答弁」をすぐそばで聞いていた菅が、通常の政治感覚を持つなら、「これでは臨時国会はともかくとしても、通常国会の予算委は持たない」と考えるだろう。尖閣事件の猿芝居的筋書きを自作自演しておきながら、それを押し通そうとする傲慢さ。野党が新聞報道を元に質問すれば「最も拙劣な質問だ」と侮辱。「厳秘」書類を予算委員会で撮影されて、「盗撮」呼ばわり。自衛隊を「暴力装置」とおどろおどろしい表現で形容する。仙谷答弁は、駆けだし弁護士でも避ける「ほとんどビョーキ」の確信犯的な言い回しに満ちている。菅にしてみれば、まさに仙谷答弁が内閣つまずきの最大原因の一つと受け取ってしかるべきだろうし、このまま答弁を続けさせれば、“問責”は自分にはね返ってくる。
だいたい問責決議可決で閣僚の首を取ることに先鞭(せんべん)をつけたのは、他ならぬ民主党である。防衛庁長官・額賀福志郎の問責を出し、辞任に追い詰めているし、ねじれを最大限利用して、首相・安倍晋三をノイローゼで退陣するまでいじめ抜いたのも、民主党だ。因果応報とはこのことであろう。仙谷が生硬な憲法論を振りかざすのは、まさに「ご都合主義の悪あがき」以外の何物でもない。自民党幹事長・石原伸晃が仙谷を評して「菅内閣がづっこける原因を作った張本人」と指摘しているのももっともだ。マスコミもマスコミだ。解説委員が仙谷留任のお追従発言をすれば、番記者も仙谷がよほど大きく見えるらしくて、腫れ物に触るような記事ばかり書く。政治記者はいかに人物を見極められるかで優劣が決まる。大物などではなく、せいぜい「中の下」か「中の中」くらいと見る眼を養うべきだ。
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