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2011-02-25 00:00
(連載)中東・北アフリカの民主化とは何か、その本質ついて考える(1)
宮崎 厚
ベンチャー企業顧問
中東・北アフリカの民主化騒動に関して、チュニジアのベンアリ大統領、エジプトのムバラク大統領、リビアのカダフィ大佐、バーレーンの国王などは、長期政権ではありましたが、それほどの悪政を敷いてきたとは思えません。チュニジアとリビアは知りませんが、エジプトのカイロやバーレーンにはかつてよく行ったことがあります。街は安全で、経済的にもかなりの活況を呈して、国の統治としては、決して悪い印象はありません。そもそも、中東イスラム圏の国々は、昔から砂漠のテントの中で、絨毯を引いてくらしていたわけであり、新雪の降る雪野原の中で藁ぶき屋根の下で畳の上で暮らしてきた昔の日本人とは、何か共通するものがあり、親しみを持てる地域です。
さらに日本の歴史を考えたとき、比叡山延暦寺の僧兵に手こずった織田信長はこれを焼打ちにしてしまいました。豊臣秀吉などは、刀狩をして、一向一揆などを起こした民衆の抵抗力を無くしてしまいました。そんなことを考えると、上記の国々のベンアリ、ムバラク、カダフィなどの指導者が、果たして人民裁判で処刑するほどの犯罪者であるかどうかは、疑問だと思います。確かに彼らは政権にしがみつき、個人的蓄財をしたことは確かですが、豊臣秀吉の貯めた金銀財宝を考えると、同類かとも思えます。しかし、彼らは朝鮮征伐を図った秀吉と違い、イスラエルとの戦争を避けてきました。
一方、世界の投機資金が穀物や食料に向かい、そのためこれらの価格が高騰して、各国の低所得層の生活を圧迫したのが、今回の民衆蜂起の原因だとする説もあるようです。これは先進国の投機マネーの弊害を放置していることが原因です。しかし、今のこの地域の動きは、中東・北アフリカ諸国の歴史の経過の一環であるとすれば、日本が外交で何とかするといった問題を超えています。今後とも各国との親交だけは継続してゆくことしかありません。
ところで、各国の民主化運動の中で、チュニジア、リビアからは難民が対岸のイタリアなどに脱出したり、亡命したりしているようです。そのほか、エジプトなどでも、商店から商品を略奪したり、博物館や古代遺跡を荒らしたりするニュースが伝えられています。これを聞くと、民主化とはそのようなものかと思わざるを得ません。日本でも昔、私が大学受験生であった昭和43~44年頃ですが、学生運動や東大紛争などといった、忘れもしない、バカな大学生の反体制運動がありました。「日本を壊す」などと叫んで、デモ、投石、ゲバ棒などで暴れ、社会に大変な迷惑をかけていました。ちょうど菅総理や仙石元官房長官世代の大学生時代です。(つづく)
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