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2011-03-08 00:00
(連載)吉田重信氏の米帝国弾劾論を排す(2)
角田 勝彦
団体役員
すなわち「20世紀の世界を、政治、経済、軍事面で支配してきた米帝国が、衰退への道を歩む兆候が次第にあらわになりはじめている」との吉田氏の冒頭断定には問題があろう。米は「帝国=悪」という決めつけが先にある。現代をローマ帝国末期の時代に、オバマ大統領を2世紀末ローマ帝国のセウェルス帝になぞらえているのも、国家の興亡が軍事力のみによった当時とウェストファリア体制の下2度の世界大戦を経験し、民主主義も一般化した現在を、あまりに気軽く類比しているのではないだろうか。
次に日本の4つの選択肢が提示されている。第1は「引き続き律義に米国の下僕であるかのように盲従しながら、衰退していく道を選ぶ選択肢」、第2は「台頭する中国と連携する道を選ぶ選択肢」、第3は「核武装を含む重武装をして、日米中の三角形の一極を担う形で、力の外交を行う選択肢」、第4が「一方では『抗争』しつつ、他方では『協調』するという二面性をもつ米中関係を前提にして、日本がアジア太平洋情勢の安定化に資する『平和構想』の構築を目指ざす選択肢」である。吉田氏は第4の選択肢を「現実的で賢明な選択肢」と推薦されるが、具体的に、たとえば尖閣諸島問題について、どう対処されるのか説明を伺いたい。拙論は、政治の論理(戦略的互恵関係構築と不戦)と軍事の論理(抑止)は分けて考えるべきで、領域問題については粛々と海保や自衛隊中心の紛争予防策をとっていくべきであり、日米安保は不可欠であるというものである。
吉田氏は「いずれにせよ、日本の政治的指導者と国民は、厳しい歴史的選択を迫られている」と結語されている。筆者も現在が歴史的転換期にあるという見解には賛成であり、以下その一端を述べて、投稿を終了したい。
すなわち筆者は、2006年10月16日の本欄への投稿「近未来を考える(ニュールネサンスからメタモダンへ)」で論じたように、1960年代から世界で数百年に一度の大変容(ニュールネサンス)が生じており、それも冷戦終焉以降すでに後期に入っていると認識している。基本は、近・現代の基礎となったウェストファリア体制の変更(国家主権の不平等化と内政干渉容認へ)および資本主義体制の変化(世界一体化、知本主義へ)であり、イラク・アフガン戦争など(いわば新しい三十年戦争)のあと、遠くない将来に超現代(メタモダン)がやってくるとの考えを持っている。メタモダンの構図としては、これまでの人類の経験外の悪い未来(核戦争による人類の事実上の絶滅など)と良い未来(超科学技術によるエデンの園など)は別にして、権力構造から見ては、単極(世界政府を含む帝国)、多極(G2化を含む)、無極(アナーキー)、分極(国家を超えた目的別連合など)が考えられる。筆者は分極に期待しているが、どれになるかは予見できないし、地域により異なった未来が来るかも知れない。(おわり)
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