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2006-08-16 00:00
小泉首相の靖国参拝について思う
坂本正弘
日本戦略研究フォーラム副理事長・日本国際フォーラム主任研究員
日本人は8月が近くなると、忙しく燃えてくる。2つの原爆と敗戦の8月15日のためだが、今年は、小泉首相の靖国参拝を巡って、一段とメディアが燃えた。周知のように、日本には靖国問題への対応には2つの立場がある。第一の立場は、東京裁判の正統性を否定し、A級戦犯を認めず、日本のために戦死した英霊を祀っている靖国参拝は当然との見方である。第2の立場は、東京裁判を認め、A級戦犯が祀られている靖国神社への参拝に反対の立場である。
しかし、小泉首相の論理は一方に東京裁判と「A級戦犯」を認めながら、他方に我々の繁栄は過去の犠牲の上にあるとし、不戦を誓い参拝するとする。いわば第3の立場と言える。上記、二つの立場からは一見、論理的に矛盾しているようだが、筆者は、日本の現実から発した優れた政治判断だと考えている。
第一にまず、東京裁判を否定する立場であるが、確かにインドのパール判事のいうごとく戦争が犯罪だというのは、当時の確立した法慣習ではないという主張には一理ある。更に、1950年代後半絞首刑及び獄死以外のA級戦犯はサンフランシスコ条約11条に基づいて刑を軽減、釈放され、罪人ではない。しかし、それでは、第二次大戦の結果、2百数十万の日本人が死に、明治以来の権益を失い、国際的には犯罪者扱いされ、未だに、中国や韓国から「歴史問題」をこづかれるのは何故か。誰がこの戦争と結果に責任を持つのかという義憤は激しく残るのである。残念ながら、日本人はこの問題を自分で評価していない。東京裁判は正統性には疑念があるが、部分的にせよ、第二次大戦の評価をし、日本人に代わって戦争責任を追求し、戦犯を定義した。これが、東京裁判を認め、靖国参拝を批判する流れにつながるのである。
第二に、他方、それでは、第二次大戦で戦死した多くの日本人の思いを我々はどう受け止めたらよいのかということに、靖国参拝の否定論者は答えていない。筆者は、かつて、鹿児島県の知覧に行き特攻隊の基地跡の記念施設を訪問したことがあるが、年若くして、人としての生き様も知らず、生命を「無為に」日本に捧げた特攻隊員の心情を思うと、万感、胸に迫るものを感じた。「今日の日本の繁栄はこの犠牲の上にあり、不戦の誓いを新たに参拝するという」小泉首相の感慨には誠に同感である。
以上からみると、伝統的な2つの立場は一見すると論理的には筋を通しているようだが、第二次大戦が日本人に極めて消化しにくいものを残していることに的確に対応していない。小泉首相の対応は戦犯の責任を認めながら、靖国参拝を行うという、一見、論理的には矛盾しているようだが、この消化しにくいものに対応している点で、優れた政治判断と考える。
これに関連して述べたいことの第一は、民主党の野田佳彦代議士の小泉総理への質問状が示すように(平成17年10月17日)、1950年代、国会が超党派で戦犯釈放要請の4つの決議を相次いで行い(国民世論が巻き起こり)、これが、サンフランシスコ条約11条による戦犯釈放につながったことである(一部の決議に共産党は反対)。この決議は特に積極的だった社会党を初めとし、ほぼ超党派で賛成した当時の各政党の支持と現在の各党のA級戦犯への態度の差をどの様に考えたらよいのか。A級戦犯問題を議論するときに、この点はほとんど忘却されているが、何故か、各政党の皆さんに聞きたいところである。
第二は靖国神社の首相参拝については、戦後は特定宗教援助との関連で問題となってきたが、中曽根総理・後藤田官房長官時に初めて、靖国参拝とA級戦犯問題を日本として結びつけ、首相が靖国参拝をしないことを中国に明言した。これが現在の混迷につながっていることを認識すべきである。
第三に、現在改めて、靖国問題への今後の対応が問題となっているが、小泉総理の対応は一見矛盾に見えるが、総体としてはバランスのとれている論理であり、今後も靖国問題を考える上での重要な出発点と考える。
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