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2011-04-02 00:00
原発推進論の是非は、国際的視野で考える必要がある
吉田 重信
国際政治専攻
3月31日付けの加納俊夫氏の「菅首相は原発推進の基本姿勢を変えるな」の所説と、4月1日付けの松井啓氏の「日本にとって原発の必要性は自明」との所説に違和感をもつものとして、コメントしたい。筆者は、以下の理由から、「原発推進政策を見直す」との最近の菅首相の発言は、極めて妥当であると評価する。なぜならば、今回の福島原発事故の規模(スリーマイル島事故と同じレベル5かそれ以上と認定されている)に鑑み、今の時点において菅民主党政権が、原発事故の被害や原因について十分な検証も、またこれまでの原発推進政策の是非についても再検討もせずに、原発推進政策の継続を唱えることは妥当ではないからである。また、今回の原発被害の大半の責任は、原発を推進した自民党政権にあることを考えれば、2年前に民主党を選んだ国民の立場からすると、民主党政権が自民党政権の原発推進政策をそのまま踏襲することは、納得し難い。今般、サルコジ仏大統領がわざわざ来日した狙いは、5月のサミット開催を控え、議長を勤める仏大統領としては、日本に原発推進に同意するようけん制することにあったと推察される。このような国際的局面においては、日本は早まって旗色を鮮明にせずに、強いカードは伏せたままにするのが、外交テクニックの常識でもある。
また、これまで先進国の学者を中心に唱えられてきた、原発推進を正当化する「地球温暖化危険説」でさえ、産官学とマスコミによる「虚妄」であるとする反対論者の意見が勢いづく可能性がある。したがって、松井氏の説く「原発の必要性」は、自明ではなく、マスコミによって作られた「虚妄論」だったのかもしれない。日本では、「虚妄論」を説く高名な科学者久保田宏氏(菅首相と同じ東京工業大学卒業)による「日本のエネルギー供給政策にとって、原発はもはや不要である」と題する論文がある。他方、1989年、中国の天安門事件の直後に開かれたサミットにおいて、欧米諸国は中国に対し強硬論と経済制裁論を主張したが、これに対し日本の海部首相のみが、「中国を孤立させるべきではない」との立場を示した。それは、日本がアジアの途上国のかかえる政治的・経済的困難を理解したうえでの立場であった。その後、日本は、欧米諸国に先駆けて中国に対して経済援助を再開し、欧米諸国がこれに追随したのである。この例にみられるとおり、日本は独自の意見をサミットにおいて述べることによって、その発言力を高めることができたと考える。
いつも欧米諸国に追随するだけでは、日本は「金持ちクラブ」であるサミットにおいて発言力を高めることはできない。5月に予定される次回サミットでは、原発政策が主要課題として取り上げられる予定であり、しかも、原発所有の数や、また、現在の国際原子力機関(IAEA)の事務局長が日本の天野之弥大使であることからみても、サミットに出席する日本政府の姿勢はもっとも注目されていると考える。この千載一隅の機会に、日本はサミットにおいて軽々しく米仏に同調することなく、慎重に対処してこそ、日本の国際的存在理由を示すことができる。サミットの参加国であるドイツのメルケル政権でさえ、国内での反原発の「緑の党」の躍進によって、恐らくは「見直し派」に転じる可能性がある。今回の原発災害に対して、日本は経済力をもっているので、復興しうるが、もし貧しい途上国が福島原発災害のような災害に遭遇すれば、どうなるであろうか?タイ政府とフィリピン政府は、原発見直しの姿勢を明らかにしている。隣の台湾では、反原発の住民運動が盛んになりつつある。他方、比較的裕福とみられるロシアにおいては、チェルノブイリ原子力災害のあと、災害地域の周辺は、事実上廃墟のまま放置されていると聞く。日本は、そのような途上国が災害を受ける事態をも想定して、サミットにおいて独自の意見を述べることが期待されていると考える。
他方、わが国内の政治運動として、社民党や共産党などの政党的運動だけでなく、非党派的な市民運動としての原発反対運動が高まっている。日本は、福島原発事故の原因、規模などについて検証が終っていない段階において、早ばやと原発推進の立場を示すのは、時期尚早の誹りを受けるだろう。日本は原発災害の深刻性に鑑み、この際、今後のエネルギー政策のあり方について、あらためて原点に戻って、洗い直し、原発推進の当否をゆっくりと時間をかけて検討すべきである。検討作業は、これまでのように閉鎖的で、利権の絡んだ、いわゆる「原子力一家」に任すことなく、もっと広く各分野の専門家や市民の代表も参加して検討すべきであると考える。筆者は、このような検討作業を経て、原発推進の方針が国民世論の支持を十分に得られるならば、原発を推進したらよいと考える。しかし、もし国民の支持が得られないならば、原発推進をきっぱりと放棄すべきである。このためには、焦るのは禁物であり、むしろゆっくりと時間をかけて検討することが望まれるのではないだろうか。焦ったあまりに、間違った結論に至れば、「悔いを千載に残す」ことになりかねないからである。
いずれにしても、福島原発事故の教訓から、今後原発への安全対策のための費用が格段に上昇することが予想される。その結果、水力、風力、太陽熱、天然ガスなどによる発電コストが相対的に安くなるにともない、結果として原発依存度が減少することも予想される。これまで、スペインとオランダが、原発以外のエネルギー利用を拡充したことにより、脱原発に成功した例に見習うことも可能である。なお、加納俊夫氏は、日本の原発発電量は全エネルギーによる発電量の40%であるとして原発推進の必要性を主張している。しかし、ウィキペディアなどの資料によれば、2010年の日本の原発発電量は全体の23%に過ぎず、また、政府筋発表の資料によっても、この比率は20%ないし多くても30%とされている。今後この数値は原発政策のあり方を検討する際に極めて重要な意味をもつ数値である。この点について、確認のために加納氏の責任ある説明をお願いしたい。
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