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2006-08-28 00:00
女王の難しさ
大蔵雄之助
評論家
秋篠宮妃殿下のご出産の予定日が近づいている。私は今上天皇ご生誕の時の、「鳴った鳴ったサイレン、サイレン、皇太子さま、お生まれなった」という歌を覚えている。あのころとは比べるべくもないが、それにしても帝王切開にいたるまでの詳細な報道はプライバシーの侵害に当たるのではないだろうか。
そこには、女性天皇、女系天皇を認めるための皇室典範改正が必要でなくなるのではないかとの期待があり、皇太子妃のご病状との関連など国民の関心をそそる要素もあるが、公人といえども紀子さまのご懐妊の状況のすべてを知らせるというのは明らかに行き過ぎである。
私は近くスコットランド女王メリーの伝記を出版する予定だが、当時はイングランドでもメアリー一世、それに続くエリザベス一世と、女王の時代だった。しかし、王室にとって女王の出現は三つの理由で悩みの種だった。
ヨーロッパでは女王は外国の王子と結婚するのが慣例だった。その場合「配偶殿下」は大国の出身であることが好ましかったが、そうなると外国の王家の影響を受けるおそれもあった。特に、女王の妊娠期間中は「婚姻による王冠保持者」が直接統治することになるからだ。
第二の選択肢は、国内の有力な貴族の子弟を迎え入れることだった。けれどもこれは他の貴族たちのそねみを受けるために、王権の安定にとっては不利だった。
エリザベス女王は独身を貫いた。これはきわめて賢明な決断だった。未婚の女王は引く手あまたで、適齢の王子やその父親の国王から結婚の申し入れがある。この状態が続く限り、周辺諸国はみな友好国である。こうしてイングランドは繁栄し、ヨーロッパの強国となった。しかしながら後継者がなかったから、遠縁のスコットランド国王ジェイムズ六世がイングランドの王権を継承した。
近世初頭と現代では事情が異なるし、まして日本は遙かなる国であるものの、知っておいていただきたい。
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