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2011-07-12 00:00
管首相の本質は「ポピュリスト的機会主義者」である
吉田 重信
china watcher 研究所主幹
杉浦正章氏は、その菅叩きの論陣を益々鮮明にしており、最近の論考では、菅首相を単純に「極左」として決めつけ、日本経済に「実害」ありと主張しておられる。しかしながら、この主張には、市民派の一人である筆者としては、違和感を禁じえない。
筆者は、菅首相の本質は、イデオロギ―的な「極左」にあるのではなく、「ポピュリスト的機会主義者」であることにある、と考えている。なぜなら、目下の国論の動きをみれば、財界主流や通産官僚たちの原発堅持論は別にして、孫正義をはじめとする一部財界と圧倒的多数の市民は、時間軸の差はともかくとして「脱原発」の基本的方向を支持しているからだ。菅はこれに迎合しようとしているにすぎない。
考えてみれば、民主党の基本的性格は、そのマニュフェストにみられるように、大衆に甘える「ポピュリスト的機会主義者」のそれである。しかし、本来「変革」を掲げたはずの民主党は、政権交代以降の多くの兆候から見て、対米姿勢や消費税問題をはじめとする多くの問題について、右傾化が著しく、今や政策的には自民党の基本的路線とほとんど変わらなくなっている。むしろ、管首相としては、その自民党寄りの姿勢を隠ぺいするために、「脱原発」のような大衆迎合的な姿勢を取りつくろっているように考えられる。
ただし、ポピュリズムが常に妥当であるかといえば、それはそうではない。ポピュリズムは多分の危険性を孕んでいる。「自民党をぶっ潰す」と豪語し、実際に自民党にダメージを与えた小泉首相の手法がそうであったごとく、ペテン師的要素があるからだ。「ポピュリスト的機会主義者」の政治指導者が出てきたときは、その真偽を見抜くだけの正しい判断が、市民に求められる。来るべき総選挙こそが、その時であろう。
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