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2011-08-01 00:00
海江田は“泣いている場合”ではない
杉浦 正章
政治評論家
「涙なんてェものは、洒落や冗談で出るものじゃござんせん」とは古典落語「王子の幇間(たいこ)」のせりふだ。確かに洒落や冗談で経産相・海江田万里は泣いたのではないだろうが、「泣いちまっちゃあ、話しが続かねえ」のである。古来政治家が泣くと、子供のけんかと全く同じで、「負け」なのだ。いまの民主党には、犬の遠吠えはあっても、首相・菅直人と刺し違える度胸のある政治家は1人もいないのだろうか。政治家は泣いている場合ではない、泣きたいのは被災者・国民の方だ。海江田は国会の委員会の場で泣く癖があるが、テレビで報じられただけで2回目だ。それも号泣してしまった。野党から「辞任を表明しながら辞めないのは、菅直人首相とそっくり」と指摘されると、「もう少しこらえてくださいよ」と半泣き。さらに 「政治家としての価値を落とすのではないか」と追撃されると、「わたしはいいんです。自分の価値は」と泣き声を絞り出し、席に戻ると顔を手で覆って号泣。涙をぬぐった。
菅と同類に扱われて、よほど悔しかったと見えるが、記者団から「公の場で涙を流されるのは尋常ではない」と問われると、海江田「尋常でない状況がだいぶ続いているので」と菅への“恨み節”をたらたら。政治家がなぜ泣いてはいけないかというと、「あ、ここまでの男か」と受け止められるからだ。周りの視線は、リーダーと目される政治家に対して底知れぬ包容力と精神力とカリスマ性を期待しているのだ。極限状態を涙なしで乗り切らなければならないのは、古今東西同じだ。米国でも同様に見られている。1968年の大統領予備選において民主党候補で上院議員のマスキーが涙をこぼした結果、マクガバンに敗北。以来「大統領を目指す者は公の場で決して涙を見せてはならない」というのが選挙戦の不文律となった。ニューハンプシャー州の民主党予備選挙でクリントンが泣いたのは女性の涙で、逆に女性層の同情票を買ったものの、最終的にはオバマに敗退した。
佐藤栄作は涙腺が弱くて、よく泣いたが、自分のことでは泣かない。福祉施設などを訪問する際に泣いたのだ。民主党最高顧問・渡部恒三が「政治家は人様のことで泣くのはいいが、自分のことで泣いたら終わりだ」と述べているとおりだ。党首討論で「かわいそうなくらい苦労しているんですよ」と発言して、涙ぐんだ首相・福田康夫も、すぐに退陣。男の涙は、田中角栄が裏で流した。喉頭がんの首相・池田勇人が世間にばれる前に盟友田中との酒席で、自分の手のひらにかっと痰を吐いて「角さん血が混ざっているだろ」といって、がんを告白したときだ。肩を抱き合って男泣きに泣いた。ところが、海江田はいくら悔しくても、泣くにことかいて、委員会で号泣してはいけない。先にも書いたが、海江田の政治家としての生き様は、すぱっと辞表をたたきつけて、はじめて明確となる。展望が開けるのだ。
おまけに海江田はどうもうそをついているとしか思えないふしがある。というのも、海江田は7月29日に東日本大震災の復興基本方針を正式決定した政府の復興対策本部会議を欠席したが、その理由を「連絡が私の所に入っていなかった」と言い訳したのだ。しかし、小沢一郎と堺市で開かれた小沢系若手議員のパーティーにそろって出席することは、以前から決まっていたことだ。政府高官は「28日の段階で、29日午後6時に開くことを予定していた。午後5時ごろ『延期になるから待機するように』と連絡した」と述べており、閣僚に連絡が行かないことはあり得ない。つまり、代表選に向けて、国政より小沢の“支持”の方を選択したにおいが濃厚なのだ。そうでなければ海江田に伝えなかった事務当局の責任問題になるではないか。いずれにせよ海江田は、号泣で、やはり「ここまでの男か」という人物評価の底が割れた。この調子では、菅は海江田や政府・与党からの批判を「昼寝の風鈴」と心地よく聞き流してしまう。「8月政局」がいよいよ幕を開けるが、戦端を開く前から仕掛ける方がずっこけていては始まらない。今からでも遅くない、お盆前には刺し違え覚悟の動きを海江田をはじめ政府・与党の政治家はするべきだ。海江田辞任と連動した政府・与党首脳の連快(れんぺい)辞任の動きを急速に立ち上げるべきだ。決断をすれば局面は大きく変わる。
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