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2006-09-15 00:00
「小学生に英語教育は不要」再論
吉田 康彦
大阪経済法科大学客員教授
小学校、それどころか幼稚園から英語学習が取り入れられ、日本全国津々浦々で、幼児たちがピーチクパーチク、怪しげな英語をオウム返しに合唱している。「外国語は幼少時から親しんだ方が身につく」という主張が、国際社会における英語の圧倒的な普及という現実のなかでまかり通ったからだ。しかし、私はいまだに幼少時期における義務教育としての英語学習には賛成できない。理由は単純。日本国民1億3000万が英語をしゃべる必要はないからだ。将来、業務上の要請や個性・才能を伸ばしたい欲求から、英語を理解し、話し、英語で討論する必要に迫られる日本人は全人口のせいぜい2割程度だろう。親の感化で早期学習を始めるもよし、本人が興味をもって始めるもよし、その気になれば、至る所に英語塾があるし、ラジオ・テレビ、パソコン教材には事欠かない。
海外旅行をする日本人は年間1700万に達するが、観光や買い物に必要な英語は日常会話程度で十分であり、小学校から英語学習に貴重な時間を費やす必要はない。従来の英語教育に会話能力を多少加味するだけで十分だ。それに携帯用自動翻訳機が普及して簡単に意思疎通はIT機械がやってくれるようになっている。母語である日本語の読み書きも十分にできず、算数の足し算、掛け算すらもろくにできない児童たちに、たまたまアングロ・サクソン民族の母語である英語をありがたがって、学校教育で教える必要は毛頭ない。外国語というのは、目的があり、動機づけがあって、インテンシヴ(集中的)に、真剣に学習すれば身につくものだ。幼稚園児のときから英語ごっこでダラダラ学ぶより、高校時代に1年間留学した方がはるかに効率的だ。大学生になってからでさえ、遅くはない。日本語が母語である以上、母語によるコミュニケーション能力習得が外国語学習に優先することは当然である。
かといって、私は国粋主義者ではない。「国際人とは、自国の歴史、文化、伝統に精通し、国民としての誇りをもつ、立派な日本人であることが先決」などという時代錯誤の価値観を振り回す気はない。国連職員10年の経験から、私は「国際人とはよい日本人」などと思ったことは一度もない。要は、心根のやさしい、暖かい人間であるかどうかだ。幼稚園、小学校低学年の時期に、十分に時間をかけて教導しなければならないことは、第一に、いかなる理由があっても人は人を殺してはならず、弱者に思いやりをかけること、つまり平和教育・人権教育の原点だ。第二に、自然の恵みを大事にして、自然と共生すること、これは環境教育の原点だ。人間と自然に対する思いやりに欠ける子どもたちが、英語ばかりペラペラまくし立てられても、日本にとっても、世界にとっても百害あって一利なしであろう。何より必要なことは、人種・民族・国籍をこえて、豊かな感受性をもつ人間であるということだ。愛国心も強制すべきものとは思わない。愛国心は、海外留学、海外生活をひとたび経験すれば、否応なしに、自然発生的に心に芽生え、態度物腰ににじみ出てくるものだ。
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