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2011-08-12 00:00
(連載)「脱原発」論を考える(3)
角田 勝彦
団体役員
さて、現在と未来のための放射能汚染対策である。原発は高レベルの放射性廃物を大量に産み出す。ガラス固化体などに処分されるが、処分場の場所も確保されているとは言いがたい。日本原燃の高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター(青森県六ケ所村)に30~50年ほど「一時保管」されている。それより、いまの問題は、言うまでも なく福島第1原発の放射能汚染対策である。原発事故の際の影響があまりにも大きいため、これまでは「事故は絶対に起こらない」という前提での対策がとられてきた。今回この安全神話が覆ったのである。「命あっての物種」という。前記朝日世論調査で「放射性物質による食品汚染への不安」を4択で聞いたところ、「大いに」34%と「ある程度」42%を合わせて76%が「感じている」と答えた。「大いに感じている」は東北で42%など、東日本では高めだった。とくに子どもをもった母親が神経質になるのを問題にすることはできない。
ただし、7月下旬、食品安全委員会がまとめたように、「健康影響が見いだされるのは、(食品だけでなく、外部からの被曝を含め)生涯の累積で100ミリシーベルト以上。平時から浴びている自然由来の放射線量は除く」ということであり、「1ミリシーベルトでも危険」ということではない。100ミリシーベルト以下で影響を受けたというデータはない由である。核兵器は悪である。筆者は、抑止論的核武装論に組みしない。米国の国際政治学者で現実主義の太宗モーゲンソーが喝破したように「核は、使用されたら、護るべき国民(ひいては人類)が消滅する」からである。相手国の核ミサイルは、MDはもちろん、発射前の対基地攻撃を含め、無力化を図るべきだが、核攻撃を受けたからと言って報復の核攻撃は無用である。
しかし、原発は核兵器ではない。核分裂の制御技術は存在する。1953年12月8日、アイゼンハワー米国大統領は、国連総会で「Atoms for Peace」と題する演説を行い、原子力を平和のために利用することを提唱した。1957年に国際原子力機関 IAEA が設立された。日本では、中曽根元首相が原子力三法を成立させ、資源を持たぬ日本の国策として原発建設を推進した。「平和のための原子力」という観念は多くの人を引きつけた。原爆の犠牲者で、平和のシンボルのような永井隆博士さえ、「原子力が汽船も汽車も飛行機も走らすことができる。(中略)人間はどれほど幸福になるかしれないね」(「長崎の鐘」)と書いた。鉄腕アトムも、原子力をエネルギー源として動く少年ロボットである。被爆者でつくる日本原水爆被害者団体協議会も1956年結成時に「原子力を決定的に人類の幸福と繁栄の方向に向かわせるということこそが、私たちの生きる限りの唯一の願い」と宣言し、原子力の平和利用を否定してこなかった(ただし、この7月「全原発を廃炉にするよう」国に求めていくことを決めた)。
福島第1原発事故でも、核分裂の制御技術自体は疑問となっていない。あらゆる電気が来なくなったのが原因である。大津波という希有の原因による1回の事故で、原子力の平和利用を否定するのは行き過ぎだろう。せっかくつちかった高度な技術が消滅する危険もある。なお日本の電力供給が原発に由来する中央集中管理の独占体制に基づくことが、電力料金の高さや日本社会に蔓延する依存体質をもたらしていると指摘し、電力会社による地域独占体制の見直しや、電力会社から送電部門を切り離す「発送電分離」など制度変更を主張する意見もある。制度変更は、民間主導のもと政治理念でなく、経済原則にのっとって行うべきであろう。(おわり)
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