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2011-09-07 00:00
(連載)野田新内閣の誕生と日本の未来(1)
水口 章
敬愛大学国際学部教授
9月2日、野田佳彦首相の内閣が発足した。9月1日、成田市で「国際社会とリスク」をテーマに講演会の講師を務めたが、その会場では「千葉県出身の総理として頑張ってほしい」との声が出ていた。千葉県の大学に勤務する身としてその声に共感するところはあるが、政策学をかじる身としては、8月30日付けのフィナンシャル・タイムズ紙の以下の指摘をしっかり受け止めたいと考えている。
第1は、国民から支持を得てスタートしても、数か月すると国民は飽きる。そうなると、与党は次期選挙の重荷になると考え、その人物をお払い箱にしたいと感じて動き出す、との指摘である。第2は、官僚機構によって政府は運営されているが、大震災の復興、債務管理、デフレ対策、対中国政策といった大きな問題が先送りされ、誤魔化されている、との指摘である。おそらく、外国人ジャーナリストの多くは、現在の日本の姿としてこの2点を首肯するだろう。
なぜなら、とりわけ欧米では、政治家を人気や地縁などの人間関係ではなく、問題を見出し、それを解決できる能力によって評価するからである。そこには、政治家が問われるのは、調整能力もさることながら、政策実現能力だとの考えが見えてくる。しかし、古賀茂明が『日本中枢の崩壊』『官僚の責任』で指摘しているように、東日本大震災と福島第一原発事故への対応ぶりを見て、多くの日本人が「官僚機構は日本で最高の頭脳集団である」とのこれまでの既成観念が幻想であったと再認識したのではないだろうか。
上記の第2の指摘については、日本人と外国人ジャーナリストの現状認識に違いがあるように思う。この認識の違いはなぜ生まれるのだろうか。それは、外国人の中にも日本人の中にも、増分的な政策立案を続けることで、まだこの国の屋台骨は保たれると考える人がいるからではないだろうか。復興、債務管理、デフレ対策などの国家収入の問題や、社会保障の改善問題、「バラマキ4K」などの支出といった個別政策に関心が高いことからも、そのことが窺える。(つづく)
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