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2011-09-12 00:00
自由、民主主義もいいが、まず生き残らないと
河東 哲夫
元外交官
いろいろな研究会に出ていると、この頃「価値観」という言葉がまたよく使われるようになったことに気がつく。「日本は中国にくらべて自由だし、民主主義の国だ。だからこれを守るために・・・」という具合。心の底から同感だし、僕も同じようなことを言ってきた。ただこの「自由」とか「民主主義」という漢語にくっついてくる翻訳調の響きはなんとかしたい。日本は別に昔から自由、民主という言葉を使っていたわけではない。そりゃ、江戸時代の都市社会はずいぶん開けていたし、大正デモクラシーという時代もあった。だがその大正デモクラシーがすぐ、今の日本のような政党間の泥試合になり、軍部は権威主義を持ち込み、結局自由、民主が言葉としても定着したのは、米軍による占領以来のことではないか?
僕もロシアやウズベキスタンに勤務していた時、折にふれては自由、民主の重要さを説教したものだが、忍び笑いをかみ殺す連中がいた。「こいつ、アメリカに負けたのに、飼いならされて、こんなこと言ってやがる」というわけだ。われわれは戦争に負けて占領されたことを、事実として受け入れるべきだ。それが好いとか、悪いとかではなく、「負けて占領された」という事実は事実として認めるべきだ。だからと言って、現在生きている日本人が、アメリカ国籍を持っている人間(変な言い方をしたのは、「アメリカ人」という人種はいないから)に個人として劣るわけではない。
負けたのが恥ずかしく、口惜しいものだから、それを正面から見ず、自由とか、民主主義とかいう言葉でごまかすことはしたくない。それでは結局、自由、民主主義が、自分の心の中から已むにやまれぬ欲求として出てきたものではない、ただ本の中にころがっていた美しい言葉だ、ということになってしまう。それに自由、民主主義の思想を育んだ西欧や米国において、両者は必ずしも純粋無垢の美しい概念ではない。前者は生活に満ち足りた貴族的なインテリの占有物(大衆は別に「自由」が欲しいなどとは思っていない。大衆はどの国でも自由に、勝手にものをしゃべっている。大衆が欲しがるのは良い生活だ)、後者は大衆に1票を与えることで不満のはけ口とするという面もあり、どこか胡散臭いところもあるのだ。
だいたいそれに今は、価値観のことを云々している余裕などもうない。欧米の経済が壊れれば、中国の経済ももたず、そうすればモノづくりの根元である部品・機械作りを握る日本だって崩れるにきまっている。それに中国が軍備を増強するなかで、米国が軍事費を削減しているという、この心細さ。もう価値観のことなど言っている余裕はない。日本語で仕事ができ、豊かな生活ができる、この日本という名前の付いた領域をちゃんと守る。これが先決だ。そういう時代になってきたのではないか。
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