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2006-09-23 00:00
「理」は「法」に優先する
斉藤真一
国民投票センター世話人
9月20日付け角田勝彦氏のご説明に感謝します。また、9月18日付け私のコメントの中で、一部失礼な言葉遣いがあったことを、お詫びします。「各人の『理』の上に立って規制するのが『法』である。自分の理屈に反するからと言って『法』を無視できない。『法』が気にくわなければ、国会を通じて改正すれば良い」とのご趣旨は理解できました。
次期首相たる者、遅滞なく改憲に取り組めば良いものを、「改憲に5年は欲しい。とはいえ、公海上で共同行動中、同僚(米軍)に対する不測の攻撃は、明日にでも起こり得る」というジレンマから、姑息にも、現憲法や関連法規の重箱の隅をつつきまわして、集団的自衛権行使の口実を探ろうと、焦っているのでしょうか。
ところで、角田氏の仰る「理」は、法体制の枠内における「各人の理屈」、「自分の理屈」に特定されているので、明らかに「法」に比べて劣後しており、そこから必然的に「『法』は『理』に優先する」という定理に至ります。しかしながら、苟も「法」と並べて「理」を論じるからには、「理」本来の意味である「物事の筋道。条理。道理」を以って比較されるべきではないでしょうか。いま仮に、「理」を「人間が手探りで切り開く道」と定義するならば、「法」は「規則」「罰則」「ルール」「杓子定規」、即ち「人間を共同体に縛りつけるための道具」と定義できるでしょう。
そうした場合、人間が先か、道具が先かといえば、明らかに人間が先なので、必然的に「『理』は『法』に優先する」という定理に至ります。「道具」の使い勝手は「理」に照らして常にこれを点検し、改廃を怠ってはならないと、私は思います。
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