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2011-11-14 00:00
リビアの政治変動と市民の意識連帯
水口 章
敬愛大学国際学部教授
本年1月にチュニジアのベンアリ政権を打倒した市民による反政府運動は、エジプトのムバーラク政権に次いで、リビアのカダフィ政権も崩壊させた。その潮流はイエメン、シリアにも及ぼうとしている。この「アラブの春」と呼ばれる一連の政変を、「市民の意識連帯の形成(A)→集団行動(B)→政治変動(C)」という図式で一般化してみた。また、Aはソーシャルメディアと、Bは識字率の上昇、出生率の低下、そしてユースバルジ(人口構成上、とびぬけた若者層の存在)と関係性が強いと推察した。さらに、アラブの春では、A→B→Cの変化において、軍の対応により、チュニジア、エジプトのようにBが非暴力を貫けるケースと、リビアのように武力を使用するケースがある。また、Bに対し体制側が軍事行動をとった場合、国際介入の程度によってCが体制崩壊に至るかどうかが左右される。この図式を念頭に、リビアの事例を具体的に見てみる。
第1に内的要因として、カダフィが構築したジャマーヒリーヤ体制は、家族と部族を重視した統治システムで、国家の根幹となる制度および行政組織の整備が不十分であった。また、石油に依存した経済構造で、公共部門以外で雇用創出を図ることが難しい。このため、若者層やカザフィ政権と距離感がある人々への十分な雇用対策が打てず、そこに不満が鬱積していった。
第2に国際要因がある。イラク戦争開戦以降、アラブ諸国での市民社会の構築、地域貿易の促進、デジタル知識向上などに関する議論が活発化し、内外から政治・経済・社会改革の圧力が高まった。そして、リビアは2003年、欧米諸国に対し、それまでの対決姿勢から協調路線へと対外政策を変更した。このことで国内外での投資が活発化し、国際経済との結びつきが一層強まった。その中、カダフィ政権がとった政策は富の格差を広げたが、国民生活も向上させた。しかし、2008年のリーマンショックと、それに続く物価上昇によってリビア経済は急激に悪化した。一方、米英仏はチュニジア、エジプトの政変への対応のまずさや、それぞれ旧政権との緊密な関係を持っていたことが国内外から批判を受けた。
このような複数の要因がある中で、カダフィ政権に反発し、周辺に追いやられた市民が2月、抗議行動をはじめた。この動きを鎮圧するためカダフィは重火器や航空戦力を使用した。その行為に対し今年3月、国連は市民の保護を目的に安保理決議1973号を採択し、軍事介入を行った。これによりカダフィ軍は打撃を受け、反体制側が勢いづいて政権打倒に成功する。リビアの政変はチュニジア、エジプト同様に、カダフィ政権下で国民の生活水準が向上しA→Bが起きやすくなっていた。しかし、治安部隊の力が大きいためA→Bに至る過程の早期に反体制側の中核となった国民評議会が英仏などに国際的軍事介入を要請した。このためAが不十分のままCに至った。そのことで、同国の平和構築の長期化が懸念される。
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