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2006-09-29 00:00
「東アジア共同体」論議に一石
吉田康彦
大阪経済法科大学客員教授
9月14-16日、ハノイで開催された「東アジア共同体の課題と展望」と題する学者・研究者の国際会議に出席して来た。これは、私が所属する大阪経済法科大学が北京大学とともに2年ごとに東アジア研究の一環として持ち回りで開催しているもので、今年はヴェトナム学術会議北東アジア研究所の招聘で実現した。
14カ国から134人が参集したが、総じてASEAN(東南アジア諸国連合)域内の学者・研究者は「東アジア共同体」結成に意欲的、積極的で、ASEANの拡大(日中韓のプラス3でもインド、オセアニアを加えたプラス6でも)に格別の障害はないとする認識が際立った。基調講演を行なった 楊宝筠・北京大学教授も東アジア域内貿易が54%に達した事実を指摘、「日中韓にたとえ政治的対立があっても経済の相互依存関係の深化で中和され、克服される」と楽観論を述べた。
これに対し、李根ソウル大学教授は「北東アジアには“われわれ意識”が欠けている。最大の原因は日韓両国が安全保障を米国に依存し、国防主権を行使できないことにある」と述べ、東アジア共同体も、その前提としての北東アジア共同体も、米国の覇権主義排除なしにはあり得ないという見通しを述べた。
この点についての論議が日本ではあまり進んでいない。米国の影響力を排除した形の東アジア共同体構想ではすでに日中の対立を生んでいる。楊教授の分析は甘いと思われた。
「共同体」の定義についても激論が交わされた。私は欧州の例を引いて、宗教・民族・文化における価値観に共通性がなく、経済・社会の発展段階に極端な差のある東アジアに「共同体」形成の基盤は存在しないという立場で論陣を張ったが、「共同体」には、漠然と「国際社会」というのを英語で international community と呼ぶように、緩やかで広義の概念も存在するので、あまり堅苦しく考えるべきではないというASEAN側からの反論もあった。なるほど、これがアジア的価値観なのだろう。とにかく前向きに物事をとらえることは悪くないと思い直した。
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