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2012-02-08 00:00
欧米の「平時」と「非常時」を切り替える法制度に学べ
船田 元
元経済企画庁長官
昨年3月の東日本大震災発生後に起こった様々な現象は、日本にとって前代未聞のことが多かった。特に原発事故は一刻の猶予も許されない事態が続き、政府の担当部署の緊張が限界に達していたことは、想像に難くない。そうした中、総理官邸に置かれていた「原子力災害対策本部」をはじめとして、10近い災害対策関連の重要会議の議事録が作成されていなかったことが、最近になって明らかとなった。議事の概要すら作成されなかった会議もあったという。
たしかに議事録を作成することも後回しにしなければならないほど、緊迫して余裕がなかったといえば、許されてしまうかもしれない。しかし未曾有の大災害にわが国が、政府がどう対応してきたか、その詳細が残らなくなってしまったことは、大きな損失と言わざるをえない。関係者の脳裏から消えないうちに、後追いでもいいから概要でも作っておくべきではないだろうか。
ところでこのような「凡ミス」が何故起こったのだろうか。私は、当時の菅政権が「非常時」においても「平時」の時の対応をしてしまったためではないかと考える。「平時」の対応では、刻一刻と変化する事態に対応がどんどん遅れていく。遅れれば遅れるほど余裕がなくなり、議事録など作成する余裕がなくなっていくのは当然だろう。もしここで「非常時」の対応をしていれば、権限が一箇所に集まり、余計な手続きや段取りは省略され、変化する事態に余裕を持って対応することが可能となったはずだ。議事録もしっかり作成することが可能だろう。
欧米諸国の政府は、「平時(ピースタイム)」と「非常時(ウォータイム)」を適時に切り替える法制度やシステムを持っているところが多い。隣国との戦いが日常だった過去の歴史から学んだ智慧だったのだろう。しかし大規模災害が多い日本では、この智慧を最も良く学ばなければならないはずだ。自民党本部では間もなく、「非常事態法制」の研究が始まろうとしている。場合によっては憲法改正まで必要になるかもしれない。遅きに失しているかもしれないが、我々はこの度の大震災の教訓として、大いに学ばなければならない。
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