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2012-09-26 00:00
国際司法裁判所を過大評価するべきではない(再論)
山田 禎介
国際問題ジャーナリスト
「領土問題の国際司法裁判所による解決は日本にとって有効か?」とする宮崎厚氏のご指摘は、まさにわが意を得たりだ。まずは野田首相の国連演説がどんなものか、聞いてからかとも思うが、宮崎論の印象が新鮮なうちに発言するほうが、これもわが意を尽くせると判断する。以前、北原二郎氏が「尖閣問題は時間との勝負論」を述べた折、筆者は、「実に新鮮な意見」と評価する反面、「国際司法裁判所を過大評価するべきではない」とした。その理由として”中世宗教裁判所的雰囲気の建物と内部”とあいまって、現実国際政治の場とのかい離があまりに激しいことを述べたが、これまたあまりに舌足らずの表現だった。それを今回、宮崎論は十分補足してくれた。それに加え、「世界には多様な正義が存在する。日本の言う正義だけが認められる保証(guaranty) はない」と、わたしは指摘したい。それが国際司法裁判所でも起こり得るのだ。
日本人の思考や行動について「方向性が定まると、全員が一糸乱れず、まっしぐらにその方向に向かう」と不気味がる外国人が多い。自虐するべきではないにしても、自戒は必要だろう。とかく「正しいことをやっているのだから、誤解されるはずがない。批判はおかしい」という「思考停止的行動」は、よく一般社会でも見かける。世界遺産指定をめぐり、善意の各団体、自治体がたゆまなく努力をするが、この世界遺産の概念は、あくまでも「西欧史観」から生み出されたものだと、まずは認識すべきだろう。あのノーベル賞についても、平和のシンボルとし、唯一無二的な宗教崇拝にも似た憧れを依然、多くの日本人が持っている。
また平和と言えば、前回の五輪誘致の際の東京都の努力を垣間見たが、あまりな唯我独尊ぶりを感じたものだ。その際、石原慎太郎都知事は「誘致に秘密兵器がある」と言った。ある少女がさわやかな英語で開催地東京を紹介するシーン、それが秘密兵器の正体だった。だが、シンガポール育ちだったためか、その少女の英語はあくまでも「マンダリン英語」だった。あの辟易するまでの中華ムードに包まれた北京五輪の余韻冷めあらぬなかでの五輪招致プレゼンテーション、少女の「マンダリン英語」を世界はどう感じただろうか。果たして2009年10月2日のコペンハーゲンでのIOC総会で東京は完敗した。2016年開催地は南米リオデジャネイロに決まった。
このリオ決定の伏線となったとさえ思われかねない、稚拙な出来事がさらに東京都にはあった。リオ決定前に来日したIOC候補地調査団のリーダーだった中米出身の女性委員への非礼さも、世界、なかんずく途上国側は見逃していない。なんと、都職員の一人が、VIPであるこの女性委員の両肩に手をかけて強く押しながら、「自分の上司たる」都知事への挨拶に向かわせたのだから。これらの事例は、国際機関と国際社会に対する日本人の無知を露呈している。わたしが言いたいのは、日本には国際機関と国際社会への過大な期待、信頼、信仰があるが、それらが、じつは幻想であることだ。本論に戻るが、国際司法裁判所への提訴の前に、日本人は、その裁判所の成り立ち、これまでの勧告的意見、判決後の紛争地の実態などをまず知る必要がある。
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