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2012-10-05 00:00
イスラムの反米と中国の反日に共通するもの
水口 章
敬愛大学国際学部教授
イスラム世界で広がった、映画「Innocence of Muslim」(原題)への抗議活動は、9月17日のレバノンにおけるヒズボラの抗議集会(数万人の大規模集会)やアフガニスタンのカブールでの女性の自爆抗議テロなど、注目される動きはあるものの、全体としては鎮静化に向かっているようだ。ただ、米誌『ニューズウィーク』の最新号の特集「Muslim Rage」に関するツィッターでのつぶやきや、フランスの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」(9月19日発刊)のムハンマド風刺画掲載など、イスラム教徒が「名誉を汚された」と再び受け取るかもしれない新たな状況も生まれている。この点に鑑みれば、抗議活動は10月14日あたりを境に、表現の自由と侮辱に関する「文化的対立」の新局面に入ったように思う。
今回の抗議活動は、2005年のデンマーク紙の風刺漫画のケースと同様に、預言者ムハンマドを冒涜したことに対し、イスラム教徒がその「名誉を守る」ための集団行動だと分析されている。報道を見ると、各地のデモや集会でイスラムの五行の1つである「信仰告白」(シャハーダ)のアラビア語の語句が書かれた黒い旗が掲げられているのが目に留まる。このことから、強い信仰心が見て取れる。その一方、公館の破壊や米国国旗を燃やす行為、「米国よ謝罪しろ」「米国大使館を撤去せよ」などのスローガンなど、名誉を守る目的としては疑問を抱かざるを得ない行為も少なくない。こうした行為の根底にある思考について、もう少し考えを進めてみたい。
中東地域のイスラム教徒には、産業革命で西洋社会が大きく発展する前までギリシャ文明を受け継ぎ「世界の知」を支えてきたのは、自分たちだとの優越感がある。その一方、大航海時代に世界システムが変化したことで、その後の地域経済は停滞し、近代的制度づくりが立ち遅れたことへの劣等感もある。中東地域が文明の中心から転落し、それまでの周辺地域であった西洋が代わって中心地となり、その西洋に植民地化されたことへの歴史的屈辱感とも言える。同様の構図、感情はおそらく、日本と中国の間にも見て取れる。こうした優越感と劣等感が顕著に表れるのが歴史認識問題だろう。この問題では、双方が自己の認識を一方的に主張し、解決の糸口が見出しにくいことが多い。
2009年、オバマ米大統領は、ブッシュ前政権下で悪化したイスラム諸国と米国との関係を改善するため、未来志向で対話を続けたい旨を訴えた「カイロ演説」を行った。今回、駐リビア米国大使をはじめ4人が殺害されるという悲劇が起きたが、オバマ大統領には改めて「カイロ演説」を踏まえ、未来志向の行動をとることを望む。長い歴史の中で蓄積されてきた、双方の心の奥底にある怒りや悲しみを理解するための対話の場を持つことから始めねばならないのではないだろうか。苦痛が伴う作業ではあるが、そこを乗り越え、未来志向で現在の問題を一つ一つ議論していくことが必要だと考える。日本と中国の関係においても同様のことが言えるだろう。
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