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2006-11-25 00:00
連載投稿(2)信教の自由と政教分離の原則が解決策
角田勝彦
団体役員・元大使
さて「文化の多様性」の論議に際しては、まず「文化」を仕分けして考えねばならない。また、問題の核心を、「広義の文化」(「文明」と「文化」を使い分けしない)の「普遍性」と「多様性・個別性」の問題、具体的には世界の主流となっている欧米文化の伝播に対する世界各地における伝統文化の擁護のための闘争と捉えることとする。
第一は、「文化」の「文明」的次元である。明治維新の後、我が国でも「和魂洋才」が探求されたが、いま同じことが世界中で起こっている。経済面でのグローバリゼーション(私は「世界一体化」と訳す)への反対を含め、その伝播への反対運動は、産業革命時の機械打ち壊し運動と同じ運命を辿るであろう。人権問題ともされているイスラムの女子割礼などは、纏足と同じく、消えゆく可能性が高い。ユネスコの「文化表現の多様性の擁護と推進」条約(アメリカ大衆文化の侵入に歯止めをかけ、各国が自国の文化産業を保護しようとの意図があるとされる)は批准国が少ない。自国民が異文化を享受する機会を政府が恣意的に妨げることは人権無視にもつながる。最近の中国での日本アニメ放映制限も、どんなことになるだろうか。
第二は、偉大な伝統文化と民族的習慣などの護持の次元である。世界遺産や言語を含む少数民族の文化が消滅しないよう「文化の多様性を擁護」することへの反対は少ない。
第三が、価値観と不可分の次元である。宗教的信念と結びつく場合が、とくに問題になる。ハンティントンが指摘したのは、まさにこの価値観の乖離と摩擦の問題である。信念の乖離はやむをえない。まして信仰は理性を超えたところにある。信じる唯一の神が違う神なら、妥協の余地はない。摩擦と衝突が生じるのは当然である。宗論はやりたいだけやればよい。それは言論の自由であり、信教の自由である。しかし行動は別である。領土紛争と同じで、暴力で解決しようとする態度は許されない。宗教は、古来武力紛争を生んできた。同じ神を信じていても闘争は起こる。キリスト教の宗教戦争は激しかったし、シーア派とスンニ派も闘っている。近親憎悪ほど激しくなる。
暴力的対決を避けるためには、政教分離と信教の自由を尊重させるしかない。中東のみでなく、南米でも、アジアでも、人権と民主主義を中心とする欧米的価値観の押しつけへの反感があるが、国連も認めているように、人権は普遍的なものと規定された。アジア的人権やイスラム的人権というものはない。そして信教の自由は人権の中核である。「寛容政策」に代わる新政策が模索されているようである。EUは、最近、加盟候補国トルコに対し、民主化に向けた改革のペースが遅れていると強く警告する報告書を発表した。パキスタン軍は、10月末国際テロ組織の訓練キャンプとして使用されていたイスラム神学校(マドラサ)を空爆し、武装勢力約80人を殺害した由だが、11月パキスタンを訪問したブレア英首相は、ムシャラフ大統領と会談し、マドラサ改革などのため、今後3年間で4億8000万ポンド(約1070億円)を支援することを表明した。イスラム側にも変化の兆しがある。トルコは政教分離を国是とし、ベール着用に規制があるが、エジプトでも閣僚がスカーフ着用は後ろ向きの一歩だと語って、物議を醸したといわれる。
筆者は本欄への他の寄稿(8月21日付第108回「靖国問題ー土俵が違う」)で、政教分離の原則の尊重が靖国問題の解決につながると記したが、ルネサンス・宗教改革により西欧で認められた信教の自由と政教分離の原則が世界的規範になっていくことは、私の唱えるニュールネサンス(10月16日付第147回「近未来を考える(ニュールネサンスからメタモダンへ)」ご参照)到来を精神面でも裏付けることとなろう。(おわり)
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