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2013-03-08 00:00
(連載)チュニジア情勢の現在とその将来(1)
水口 章
敬愛大学国際学部教授
2010年12月、チュニジアの中南部で発生した市民の抗議運動が、翌2011年1月14日には約23年間に及びこの国を支配してきたベン・アリ体制を崩壊させた。それから2年余りを経た現在のチュニジアを先日訪問したが、その印象は次の3点に集約される。それらは、(1)民主主義という制度の定着にはまだ多くの時間を必要とする、(2)世俗主義とイスラム主義の対立は根深い、(3)反ベン・アリ政権の運動における国内活動家と国外亡命活動家との間の、新国家ビジョンに関する違いは大きい、である。
中東関連のウェブサイトで指摘されているように、「革命は失敗だと早合点してはいけない」のであり、歴史に近道はなく、アラブ市民もフランス革命のジャコバン党のように自由を求めて厳しい道のりを歩みはじめたことは確かだ。中東地域での革命と言えば、1979年にイランでパーレビ王朝を打倒したイラン・イスラム革命が想起される。この革命はその後、イラン・イラク戦争、ソ連によるアフガニスタン侵攻を引き起こした。そしてイラン・イラク戦争はさらに、湾岸戦争、イラク戦争へと連鎖していった。また、ソ連のアフガン侵攻は、聖戦(ジハード)、殉教とイスラム過激思想とを結びつける国際テロ・グループであるアルカイダを台頭させた。
このイラン革命と、2011年のチュニジア革命との類似点はあるのだろうか。以下に、この2つを「外観上」「政治プロセス」「政治指導者の目指す統治」「革命が及ぼす影響」の4つの視点から比較することで、チュニジアの近未来の方向性について考えてみようと思う。第1に「外観上」の比較について、まず女性の服装についてであるが、チュニジアでもスカーフやニカブを着用する女性が増加している。しかし、イランよりも女性の自由度は高い。チュニスの街中ではカップルも珍しくない。また、お酒や豚肉が購入できるスーパーがある。これらの点から、イスラム的な生活規範を求める「ソーシャル・プレッシャー」は、イラン革命時に比してそう強くはないと言える。イランの場合、「革命ガード」や「革命裁判所」がつくられ、非イスラム的行為を厳しく取り締まり、シャリーア(イスラム法)を実質的な基準として人々の行動を規制していた。今後のチュニジアの注目点の一つは、このような革命の成果を守るための考え方、組織、制度が、どのような形で生成するか、である。
第2に、「政治プロセス(憲政選挙、憲法制定、選挙、議会運営)」の過程で、利益集団間の対立が、議会や選挙などの政治段階で止まるかどうかである。チュニジアでは、今年2月6日に野党「民主愛国主義者運動」のベライド党首が暗殺された。また、同国の内務省が2月20日に発表したところによれば、多数のカラシニコフ銃、ロケット弾などの爆発物が貯蔵されていた家屋を捜索し、関係者の身柄を拘束した。イラン革命では、左派勢力からイスラム主義者まで王政打倒で統一的行動がとられた。しかし、その後、利益集団間の政治路線対立が武力闘争化し、テロや暗殺が起き、多くの犠牲者が出た。その過程で、イスラム法学者による統治体制(ヴェラヤテファギーハ)が形成され、今日に至っている。チュニジアでの注目点は、与党第一党の「アンナハダ」が、憲法制定、その後の議会選挙までにどのような体制強化を図っていくかである。現地では、治安関係をはじめ政府機関にアンナハダ関係者の登用が目立っているため市民の不満の声が強い。(つづく)
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