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2013-07-10 00:00
(連載)エジプトの政治動乱(1)
水口 章
敬愛大学国際学部教授
7月3日、シシ国防相がモルシ大統領を解任し、4日、マンスール最高憲法裁判所長官が暫定大統領となった(最高裁長官は、副大統領、国会議長に次ぐ3位の権限継承ポスト)。この出来事は、同国市民社会の亀裂(クリーヴィッジ)の表面化を示している。政治的安定状態が後退し、クリーヴィッジ構造が表面化する政治現象については、ロッカンとリプセットが1960年に指摘している。それは、政党の背景にある集団の対立関係について歴史的観点で注目したものである。今回のエジプトのケースについてこのクリーヴィッジの構造を考えてみると、「宗教の個人化」と「宗教の国家化」の対立関係が見えてくるのではないだろうか。モルシ大統領の支持基盤のムスリム同胞団は、イスラム法(シャリア)を重視した社会構築を目指している人たちである。この政治思想は、エジプト現代史の流れで見れば、同国内に西洋化が浸透することに対するイスラムの生活規範を堅持するという運動だと言える。近代化に関する文化変容の観点で見ると、それは抵抗変容である。この政治思想は、極端な場合、「国粋主義」や「イスラム過激派」のような原点回帰を提唱することもある。
エジプト社会では、世俗性が高まる中で、宗教を個人の心の問題としてとらえる人々が生まれている。そうした人々は、宗教の問題に国家が介入することをあまり望ましいと思わない。非合法であったムスリム同胞団内部でも政治路線の対立が起き、分裂した経緯がある。こうして別れたグループの中には、武装闘争も辞さない過激派も生まれている。この「宗教と個人」という観点からエジプトの社会空間を大雑把に分類すると、次の4つに分けられるのではないだろうか。それらは、(1)イスラムを心の問題と捉える人、(2)イスラムを民法レベルの社会規範と捉える人、(3)イスラム法によって社会統治が行われるべきと考える人、(4)イスラム法の統治を、武装闘争を行ってでも実現すべきだと考える人、である。今回のエジプトの出来事は、(1)(2)の市民勢力と(3)(4)の市民勢力の間の亀裂が表面化していることを示している。
では、なぜ対立が表面化したのだろうか。シャリアによる統治を望まない人々にとって、モルシ政権の施策は「最大多数の最大幸福」を目的とするものではないと映ったのではないだろうか。つまり、モルシ政権の目的は、ムスリム同胞団の体制固めにあると考えたのだろう。例えば、モルシ政権は、軍人や警察官に選挙権を与えない憲法を発令し、大統領が司法権を超えた政治命令を発令できるとの宣言をした経緯がある(後に撤回)。また、人事において同胞団のメンバーを重用していた。その一方、インフレ、失業問題などの経済問題の改善は遅々として進まず、特に観光収入や海外投資の減少から外貨が不足し、輸入に障害をきたした。さらに治安は悪化していた。
こうした状況の中、革命の成果を実感できない市民は、政府に改善要求を出し続けていたのだが、モルシ大統領はその声を受け止めなかったようだ。こうして、自分たちの生活が悪化する中で、ムスリム同胞団が勢力を拡大していくのを目にしていた人々が、反モルシのデモに繰り出した。ここから見えることは、ムスリム同胞団と軍の対立ではなく、ムスリム同胞団と2200万人以上の政治改革を求める署名を集めたタマッルド(反乱の意、救国戦線、人民潮流などの組織の連合体)の対立である。市民レベルで見れば、統治のあり方を問題視しているのである。このことを忘れて軍の政治介入の正当性の有無のみ議論するのは、ことの一面のみしか見ていないことになる。(つづく)
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