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2013-08-14 00:00
(連載)広島、長崎の平和宣言について思う(1)
角田 勝彦
団体役員
8月6日に広島、9日に長崎で、原爆死没者を慰霊し、平和を祈念する平和記念式典が行われた。謹んで原爆犠牲者に哀悼の誠を捧げたい。厳粛な雰囲気のうちに行われた両式典には改めて感銘を受けたが、惜しかったのは、松井一実広島市長及び田上富久長崎市長がともにその平和宣言で、日本政府が進めているインドとの原子力協定交渉を非難するなどいわずもがなの言及を行ったことである。また、田上長崎市長は、日本政府が最近「核の非人道性と不使用に関する共同声明」に署名しなかったことを強く非難した。核の傘否定論になるが、簡単に討議できる問題ではあるまい。
松井広島市長が述べたように、「原爆は非人道兵器の極みで、『絶対悪』である」ことに筆者も同意見である。しかし、アジアに於いても、中国、インド、パキスタン、北朝鮮と、そう思わない核兵器保有国が増えていることは事実である。「信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を」と世界の為政者に呼び掛けても、それだけでは核兵器廃絶は実現しない。地道な外交努力なしには核軍縮ですら成果は期待できない。その外交は現実に基づかねばならない。核の傘を含む日米同盟は現に存在しているのである。原水禁運動が、その初期に、米国を「戦争勢力」、旧ソ連と中国を「平和勢力」とみなし、中ソの核実験を容認した共産党の動きなどにより、分裂した経緯は過去のこととしても、一昨年の平和記念式典で、管首相は「原発に依存しない社会」を目指す考えを表明し、広島、長崎の両市長も同調して、核兵器の廃絶を訴え続けてきた式典が「核の平和利用」とも向き合う場となるのかと物議をかもしたのは記憶に新しい。
松井広島市長も自認するように、「人を殺す目的の核兵器と、原子力の平和利用が目的の原発とは違う」。思いが拡散して、崇高な理想である核廃絶への対応が割れるとしたら悲しいことではないだろうか。被爆から68年の「原爆の日」、広島と長崎で、原爆死没者慰霊式・平和祈念式が営まれた。8月6日、広島市中区の平和記念公園には被爆者や各都道府県の遺族代表、安倍首相、市民ら約5万人が参集した。海外からは70か国と欧州連合(EU)代表部の代表が出席した。核保有大国では米、英、仏、露が大使らを送った。米国のルース大使は2010年以来、3度目の参列となった。
平和宣言で、松井市長は、原爆を「非人道兵器の極みであり、絶対悪です」と非難した。日本政府には、核兵器廃絶を訴える国々との連携強化や、被爆者(3月末現在で、全国で20万人余)の実態に応じた支援策の充実を求めた。9日、長崎市松山町の平和公園で営まれた市主催の式典での平和宣言で、田上市長は、「日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求める」と述べ、核兵器廃絶に積極的な姿勢を示さない日本政府を批判した。具体的には、今年4月、スイス・ジュネーブで開かれた2015年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けた第2回準備委員会で、核兵器の非人道性を訴え、廃絶を求める共同声明に、80か国が賛同したにかかわらず、日本政府が署名しなかったこと、政府が5月に、NPTに加盟していないインドと、原発輸出の前提となる原子力協定の協議(再開)で合意したことをあげている。原爆の日に合わせて来日中の米映画監督オリバー・ストーン氏は、長崎市の式典に参列後、田上市長を表敬訪問し、「市長の平和宣言が素晴らしかった。日本政府に批判的だった」と称賛した。(つづく)
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