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2013-09-23 00:00
パックス・アメリカーナの終焉と日本の役割
松井 啓
大学講師
1990年を境に世界はそれまでの東西対立構造の崩壊過程に入った。1991年のソ連の瓦解で世界は米国一極構造となり、「歴史の終わり」(F・フクヤマ)を迎えたとのユーフォリアは、2001年の9・11事件であえなく崩れた。その後の世界は、グローバル化、ボーダレス化、中国等の新興国(BRICS,G20)の台頭、国際関係の流動化そして多極化の時代に入った。米国は、ベトナム戦争、ユーゴスラビア戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争、エジプトの混迷、シリア内戦、更に中国と連携したロシアの失地回復の巻き返し、国連安保理の硬直化等で、自信を喪失しつつある。「経済の市場化」と「政治の民主化」という「アメリカン・スタンダード」は、国際平和構築の万能薬ではないことが「アラブの春」による中東情勢の複雑化により、如実に示された。特にシリアへの軍事介入では、迷走し、見通しは不透明となった。米国政府は、内向化している国内世論、それを気にする議会等により、軍事予算の拡大、海外への軍事介入が困難となり、「世界の警察官」の役割は終局を迎えている。
にもかかわらず、オバマ米大統領は9月10日のスピーチで「アメリカは特別(exceptional)な存在である」と述べ、プーチン露大統領がニューヨーク・タイムズへの寄稿でこれに反駁したと報道されているように、一般の米国人は依然として米国は超大国であり、特別であるとの意識は変わっていないようである。思考にも慣性が働き、惰性を伴う。大国の興亡史では、強大を誇っているかに見えた帝国があっけなく崩壊する例は多々ある。米国人自らは米国が下降期に入ったことを認めたくはないだろうし、国内外で言い出しにくいであろうが、日本としては地殻変動の現実を冷静に客観的に認識し、早急に発想の転換をし、米国の没落に歯止めを掛けなければならない。
アジアシフトをしたかに見えた米国の軍事力の限界(張り子のライオン)が明確となれば、アジアでは中国や北朝鮮が強気となり、日本が戦後営々としてその発展を支援してきたアセアン諸国は動揺して、中国になびくような動きも出てこよう。中国は日本のかつての「大東亜共栄圏」構想を後追いするように富国強兵を進め、海軍増強を着々と進め、東シナ海に第一列島線を引き、これを「核心的利益」と位置付け、更にグアム島までを第二列島線に含めている。中国軍内には、ハワイを分岐点として太平洋を米中の勢力圏に二分する意見もあるとのことで、「中華大帝国」の興隆が最終的「夢」なのだろうか。
中露米3強国の狭間にある日本にとり、米国のアジアにおける存在の強化は重要である。日本は、中国に対しては国際平和維持に責任ある大国としての行動を促す一方、自らは米国の保護国意識から脱却し、対等の独立主権国家として同盟関係を強化しすることが必要である。さらに言えば、戦後の日本の安全保障や経済発展の支援の借りを返す位の気概が必要である。それには、国家の形、政治経済体制、安全保障体制を再検討し、最終的にはそれらの基礎となる憲法改正が必要であろう。他方、アセアン諸国と同じく中国の強大化を懸念するオーストラリア、ニュージーランド、インド、太平洋諸島国、更にはモンゴル、ロシア等との連携を強化し、アジア・太平洋が平和と安定、繁栄の地域となるような関係を積極的に構築していく必要がある。
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