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2014-01-01 00:00
(連載)年頭に想う:「世界の警察官」と積極的平和主義(1)
伊藤 憲一
日本国際フォーラム理事長
長く米国は「世界の警察官」の役割を果たしてきた。米国がいなかったら、1948年のベルリン封鎖、1950年の朝鮮戦争、そしてその後のキューバ危機やベトナム戦争などはどういう結末を迎えていただろうか。たぶん、ベルリン、朝鮮半島などがソ連の手中に落ちるだけでは済まなかっただろう。その後の世界地図全体が、今のそれとは大きく異なるものとなった可能性がある。
その米国のオバマ大統領が「米国は世界の警察官ではない。恐ろしいことが世界中で起きているが、すべての悪を正すのは我々の手に余る」と言った。イラク、アフガニスタンで警察官の役割を買って出たが、感謝されるどころか、世界中から批判、非難された。そりゃあ、米国にしてみれば、「もうこれ以上は、やってられない」というのが本心かもしれない。
アメリカ人の持つ警察官のイメージの源流には、西部開拓時代に西部の市民たちから頼りにされた「保安官」のイメージがある。確かに、米国の世界戦略には米国の国益が秘かに埋め込まれており、それを米国の「私心」だと言って批判することは可能だろう。とくに米国を批判するロシア、中国、それにアジア・中東のかなりの国々においては、もともと警察官には「権力の犬」のイメージしかない。
しかし、民主国家も成立してゆくためには「法と秩序」が必要であり、それを守るのは「警察官」以外にない。そのことは、治安の乱れたシリアや南スーダンの住民の逃げ惑う姿を見れば分かる。自宅に強盗が自由に出入りするのでは、住民は生きてゆけない。今日の日本人が平和を享受できるのも、世界と地域でそれなりの「法と秩序」が守られているからである。それを守っているのが、「法と秩序」であり、「警察官」である。(つづく)
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