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2014-01-08 00:00
(連載1)日本人と抽象概念
水口 章
敬愛大学国際学部教授
グローバル化が進む国際社会にあって、人々の生活環境の同質化が進み、ソーシャルメディアの発達がそれに拍車をかけている。特に若者層で意識、行動の類似性が高まっているように思う。こうした世界潮流の中、中東地域では2010年に拙著『中東を理解する』で指摘したように、その流れに合流することに戸惑っているかに見える出来事が続いている。この現象は、今後数年間は続くのではないだろうか。そうした懸念を抱いているからか、日本の近未来を考えた時、少なからず不安を覚える。
仏教をはじめ東洋思想の研究に多大な業績を残した中村元は、その著書『日本人の思惟方法』に、外来語であった漢字・漢文が日本人の思想形態に及ぼした影響について、「和語(日本の本来の語)は、感性的あるいは感情的な精神作用を示す語彙には豊富であるが、理知的、推理的な能動的思惟の作用を示す語彙が非常にとぼしい。したがって、抽象的概念を和語をもってすべて表現することはきわめて困難である」と記している。そのような和語を用いていた日本で抽象的概念が外から入ってきた場合、どう対処したか。日本では推古朝以来、中国の漢語二字や四字熟語などを当て、さらに近代に入り、西洋の哲学思想の導入においても和語を当てず、漢字を当てた。例えば、reason、Vernunftを「理性」と訳した。つまり、日本人は歴史的に、和語を用いた哲学的思惟訓練の機会を失い、和語による哲学概念を形成することができなかった。
さて、安倍晋三首相は靖国神社への参拝後の記者会見で「尊崇」という言葉を使った(その他にも漢字二字の抽象語がちりばめられている)。多くの日本人は長い歴史の中で、漢語を用いて訳された抽象概念を自分のものとして理解することなく、あいまいなまま慣例的に使用してきたと考えられる。そうだとすれば、その漢語を含む発言が諸外国の言葉に翻訳された時、どれだけ外国の人びとに、発言者が本来伝えたいことを分かってもらうことができるだろうか。
「尊」の文字は「酒を神にささげる様」を示し、そこから「たっとぶ」の意が導かれ、また「崇」は「山」と「宗」から成り、山の高大な様から「あがめる」「たっとぶ」の意が導かれている。そうなると、安倍首相が語った「尊崇の念」は、戦死者を「神」として捉え、それをあがめるという気持ちを示していると考えられる。確かに、日本には先祖を守護神と考え、あがめる伝統がある。一方、安倍首相は、戦死者を「神」と考えたわけではなく、国家のために戦い尊い命を失った人々に「感謝」の気持ちを現したのかもしれない。このようにどちらとも受け取れる「尊崇」という抽象語を用いて国際社会にメッセージを発信したとすれば、とりわけ一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の人々には理解しにくい内容になってしまったのではないだろうか。(つづく)
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