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2007-01-05 00:00
フセイン処刑の問題点――死刑廃止は世界の潮流
吉田康彦
大阪経済大学院客員教授
イラクのサダム・フセイン元大統領に対する死刑が、12月30日、判決確定からわずか4日で執行された。罪状も148人のシーア派イスラム教徒の殺害を命じたという容疑だけで、国内治安を早急に回復したいというブッシュ米政権の意向が強く働き、イラク政府が全くの傀儡政権であることを改めて露呈した。マリキ首相としても政権担当能力を示したかったものとみられるが、控訴棄却を一方的に決定したことには問題がある。米・イラク両政府は、一見公正で合法的な裁判の形式を踏まえながら、フセインを早く「片付けて」しまいたい点で思惑が一致した。
死刑廃止は、人権尊重の立場からの世界の潮流である。1989年には国連総会で「死刑廃止条約」が採択され、EU(欧州連合)はじめ先進諸国はすべて死刑廃止を決めている。平和の破壊、民族虐殺、大規模人権侵害を犯した者は、ハーグのICC(国際刑事裁判所)で裁かれることになっている。「法の支配」に向けての人類社会の一歩前進である。ユーゴの独裁者ミロシェヴィッチもICCで公判中だったが、2006年3月に獄死した。ICCの判決は終身刑が最高で死刑はない。これに対し米国はICCに未加盟であることを理由にフセイン引渡しを拒否、最初から死刑にするつもりでイラク国内の特別法廷で裁いた。この特別法廷は米国の法律専門家の助言・指導で運営され、運用資金も米国政府が負担している。
ちなみに、先進国で死刑を当然のように受け入れ、執行している国は日本だけである。米国は州によって異なる。日本人ほど死刑制度に疑問を感じない国民はない。いつ世論調査を実施しても、国民のほぼ70%が死刑存続を支持している。被害者は報復感情を露わにし、「人が人を裁き、命を奪う」ことに疑念を抱かない。死刑廃止論の根拠は、冤罪が絶えないことと犯罪抑止の効果がないことだ。
フセイン処刑は、冷戦終結のドサクサに紛れて、1989年12月、即決の人民裁判でチャウシェスク大統領夫妻を銃殺刑にしたルーマニアの例にも匹敵する暴挙だった。このようなインチキ裁判は後世に禍根を残し、スンニ派に怨念を残すだろう。サダム・フセインの統治が少数派のスンニ派支配の恐怖政治だったにせよ、フセイン時代には無差別の自爆テロは存在せず、治安はよく、市民は安心して街に出て買い物をし、レストランで食事ができた。イラク国民はいま「思想・信条の自由」はあっても毎日「生命の危険」にさらされて生きている。
自由、人権、民主主義が保証され、衣食住に不足しない社会が望ましいことはいうまでもないが、人間にとっては「安心して生きられる」ことが最低条件だ。米国のイラク侵攻以来、米軍兵士の死者も3000人に達しているが、イラク国民の死者は推定15万人を超えるとされている。独裁と抑圧を肯定するつもりはないが、イラク国民は無政府状態と内乱を望んだわけではないはずだ。
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