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2014-05-24 00:00
抑止力抜きでの「集団的自衛権」論議はおかしい
山田 禎介
国際問題ジャーナリスト
このところの集団的自衛権論議は、根底の集団安全保障体制にあるグローバルな抑止力を忘れた発想の産物としか思えません。つまり何よりも、日本があがめる国際連合、その国連憲章ですら「集団安全保障」を基幹にしており、いま言う集団的自衛権問題は、この国連の唱える集団安全保障による総論「平和のための抑止力」を吹き飛ばした各論部分の仮定論議でしかないようにみえます。戦後世界は、この国連憲章を基盤とする加盟国による集団安全保障体制の抑止効果で、大国同士の衝突という、かつての大戦争を避け、からくも平和を維持してきたのが現実です。
筆者は、個人的には「憲法は変え得るもの」とみています。さらに多くの平和主義者が日本国憲法を、まるで明治憲法が掲げた「不磨の大典」のように考えることには、疑問を持っています。問題の集団的自衛権の行使については、「保持はするが、行使はできない」とした歴代政権の解釈が妥当なものであり、現政権の解釈変更は、法治国家としては「禁じ手」と思います。つまり自衛権行使には、現憲法の改正が必要です。また、集団的自衛権行使を盛り込むために、現憲法を触ろうというのも、軽率な本末転倒行為にしかみえません。
なぜ現政権は憲法解釈変更による集団的自衛権行使を持ち出すのでしょうか。それは憲法改正を行おうとしても、大多数の国民の反対で頓挫することが予想されるからではないでしょうか。現代憲法問題での戦後ドイツの実態を記します。当時の西ドイツは、建国とともにまず再軍備を自国の意思で行いました。また建国の際の「ドイツ基本法」は、将来ドイツが「再統一された日」の(正式)憲法誕生を待つ「暫定憲法」とされました。当時の首都の名をもじって”ボン憲法”とも言われたものです。さらに再軍備による西ドイツ軍は全軍、北大西洋条約機構(NATO)軍の一部とされ、ドイツ単独の指揮権は保持できませんでした。近年アフガニスタン紛争でのNATO域外派遣問題では国論が割れる大論争にもなったものです。
一部識者による「日米安保条約があるからと言って、米国が日本を守ってくれるとは限らない」との懐疑・悲観論もお見受けします。冷静な観察でしょうが、でもそれはないでしょう。米国にとって日本列島とその周辺太平洋は、あくまでもその国益に直結した場です。最近の好例は、かつて米国が保持したフィリピンのスービック、クラークという海空軍基地の再使用です。フィリピン現地を訪れての実感ですが、日本にはない、目を見張るばかりの超巨大軍事施設を、米国は軍事基地を認めないフィリピン憲法に沿うように、シフトを変えて再び運用します。北東アジアのあの大国も、このプレゼンスを無視することはできず、海洋進出にはブレーキがかかるでしょう。いま日本はといえば、国際社会の場で「抑止の現実と平和維持という理想」をあくまで求めていくべきです。最後にドイツは、東西冷戦崩壊後、念願の「再統一」を果たしました。が、それでも暫定憲法たる「基本法」は、新たな憲法に変わることなく、そのままです。それがドイツ国民の総意でした。
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