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2014-06-19 00:00
(連載2)ロシアのウクライナにおける行動
伊藤 憲一
日本国際フォーラム理事長
というのも、プーチン政権発足直後の2000年8月に私はロシアを訪れ、その帰国報告(雑誌『諸君!』12月号掲載)で、「プーチン大統領は今後十年、二十年の長期にわたり新生ロシアの建設を指導することになり、ピョートル大帝やスターリンに匹敵するロシア史上の建設者としての位置を占めることになろう」と予言していたからである。この予言はその後ピタリと的中したと思っているが、予言の根拠は、当時プーチンが、「暴力」依存の権力基盤を構築しつつあり、それがロシアの伝統的な政治文化である「力治国家」体制に適合していると判断したからであった。「力治」という概念は私の造語であるので、一言説明する。
「力治」の担い手は当時「マシーン」と俗称され、やがて「シラビキ」(武闘派)と呼ばれるようになったKGB(政治秘密警察)関連の権力の系統であって、かれらはほどなく財界の反プーチン勢力を代表するホドルコフスキー社長を逮捕して、当時石油ガス利権の象徴であったユコス社を解体に追い込んだ。無限定の絶対権力を行使する政治秘密警察の「力治」こそは、イヴァン雷帝のオプリチニナ政策に発し、スターリンの大粛清につながるロシアの伝統的内政構造であり、それはプーチン政権によって継承され、対外的に投射されて、ロシア外交の体質となっているというのが、私のロシア論であったし、それは今でも変わらない。
今回のロシアの行動は、民兵を偽装したロシア軍をクリミアに送り込み、ロシア編入の是非を問う住民投票で「民意を得た」と称して、クリミアを一方的にロシアに編入してしまうという典型的な「力治」的行動であったが、同時にそれは事前に周到に準備された作戦計画に基づく謀略性の高い行動でもあった。2008年のグルジアから南オセチア、アブハジアを奪った手法も同じであった。それは、満鉄線を自ら爆破しておきながら、中国側の暴発であるとして、一挙に全満州の制圧に動いた、旧日本軍の満州事変をも想起させた。1990年のイラクのクウェート侵攻、あるいは1968年のソ連のチェコ侵攻とも同質の行動である。われわれは、そこにこそ「ロシアのウクライナにおける行動」の本質的な意味を読み取らねばならない。
では、今回国際社会が新しく抱え込んだ問題とはなにか。多分それは、ポスト冷戦期の安全保障上の脅威である「ならず者国家」が、ロシアのような大国である場合には、どのように対応すべきか、という問題であろう。この対応は慎重の上にも慎重ならざるを得ないわけであるが、幸いなることに、われわれには「冷戦時代」の成功体験がある。「力治国家」ロシアは「冷戦」の敗北から何ものも学ばなかったのだろうか。国際社会は、冷戦時代をつうじて「武力行使による現状の変更は絶対に認めない」との原則的立場を貫いた。3月18日のクリミア編入にあたり発表されたプーチン・ドクトリンがロシアの本音であるのなら、国際社会は、それなりに腹を据えて、「ロシアのウクライナにおける行動」の本質的な意味を理解し、対応しなければなるまい。(終わり)
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