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2007-01-09 00:00
「核全面廃絶」は日本の「初夢」でしかない
岡本幸治
大阪国際大学名誉教授
世の中にはきれい事に過ぎて実現不可能な夢がいろいろある。無税国家や無犯罪国家の実現はその類である。社会主義国家では人間性も抜本的に改善される、ジコチュウ人間はいなくなり、すべての人が豊かな社会性を身につけ、やがて共産社会という地上の天国が実現する、と学生時代に教えられたものだが、これがいかにウブな人間観に基づいていたかを知りたければ、北朝鮮の脱北者に聞いてみればよい。脱北者に縁がなければ、中共政権下で長らく社会主義体制を経験してきた中国人が、道徳レベルにおいて進化したような気配は皆無であるばかりか、今や上下心を一にして品格のない資本主義国の民よりもはるかに拝金主義にまみれている、現実を知ればわかること。
「核兵器の全面廃絶」を日本の旗として掲げ続けよという主張もその1つであることをはっきり自覚するところから、新年の核議論を始めるべきだ。いつまでも見果てぬ夢にすがって時間を浪費しているべきではない。これが「精神的マスターベーション」に過ぎぬ理由の二、三を以下に示す。
1「武士の魂は刀である」として、より進んだ兵器(銃器)の効用を知りながらその進化開発を政治力をもって停止した政権は、世界広しといえどもおそらく徳川幕府のみである。これは国内の無事太平には貢献したが、黒船による砲艦外交の脅威に曝されるや、祖法(三代家光の頃に確立した幕府の不文憲法、この場合は鎖国令)の弱点を暴露せざるを得なかった。この欠陥が幕末の政治的大変動を引き起こして倒幕勢力の結集に到り「維新革命」に展開していった、国史の教訓を思い出してみることが必要だ。核の廃止を実現するには強力な統一的政治的意志が不可欠であるが、国連は加盟国(各藩)の上に君臨する強力な徳川幕府ではなく、核保有国からなる常任理事国(幕閣)は、核を放棄するような殊勝な意志を全く持ち合わせてはいない、のが現実である。
2 核を全面廃絶すれば世の中がもっと平和になると期待するのはまったく根拠がない。核兵器が地上に姿を現す以前の長い世界史を振り返ってみれば簡単に分かることだ。「平和とは戦争と次なる戦争の間の短い休止期間のことをいう」という定義を笑ってすませられない状況にあったのが、人類史の現実であった。敗戦後「占領革命」の初期段階で勝者から与えられた平和主義(日本が再び連合国の脅威にならないための基本施策)の屈折した表現が「核の全面廃絶」であったことを、まず冷静に自覚せよ。
3 近代は「進歩」を信奉する時代である。産業革命の本質は科学技術革命であり(拙著『凸型西洋文化の死角』参照)、その成果は直ちに軍事技術の「進歩」に応用されてきた。科学技術には後戻りはない。仮に原爆は廃棄できたとしても製造技術は残る。国家が放棄してもテロリストは製造できる。それを口実に核保有国は政治的優位を保証する核保有の寡占的特権を捨てることはしない。核兵器が完全に廃棄されるのは、核よりも「進歩」した兵器が開発されたときのみである。これは人間の業である。業は背負って生きるしかない。これが人間という「賢い馬鹿」の千古変わらぬ現実なのだ。人間性に対するふやけた楽観論は禁物である。
結論。「占領革命」以来の祖法(現憲法)の欠陥はすでに明らかである。この廃棄なくして、新日本の建設は不可能である。
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