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2014-06-30 00:00
(連載1)第一次大戦後百年を迎えて
角田 勝彦
団体役員、元大使
6月28日は第一次世界大戦が勃発するきっかけとなった「サラエボ事件」百周年だった。兵員のみで900万人弱の死者を出し未曾有の大戦争とされた第一次大戦の教訓、とくに講和の基本原則となった米国ウィルソン大統領提案の「十四か条」は、現在の国際秩序にも影響を残している。その再考察は「戦争の百年(第一次大戦、第二次大戦及び米ソ冷戦など)」に続くこれからの未来について検討する上でも有益だろう。
「十四か条」は1917年3月の参戦によって協商国(英仏など)側の勝利を決定づけた米国のウィルソン大統領によって、第一次世界大戦の講和原則、ひいては大戦後に実現されるべき国際秩序の構想として提案され、ドイツの降伏を引き出すことになった。その理想主義的内容は広く歓迎され、ウィルソンは、キリストの再来とすら呼ばれた。
しかし、周知の通り、ウィルソンは現実主義者との対決に破れた。米国は国際連盟に加盟せず、またナチス・ドイツ台頭など国際情勢の変化は、国際連盟の瓦解及び第二次世界大戦と米ソ冷戦を招いた。すなわち兵員900万人弱の死者を出した第一次世界大戦に続き、第二次大戦は兵員1700万人、民間人3400万人の死者をもたらした。日本関係では、直接戦場の死者200万人、空襲・原爆、沖縄、満州などでの戦火の巻き添えになった非戦闘員を加え、死者合計は300万人とされる。第二次大戦後も戦火は消えず1989年の米ソ冷戦終焉までに世界で100回以上の紛争が生じ、死者は2000万人以上であった。
「十四か条」には、フランス領の回復、ベルギーの回復、イタリア国境の調整、バルカン諸国の回復、ロシアの回復(ただし1917年ロシア革命・共産主義政権成立で独自の道を歩む)といった講和原則に加え、オーストリア=ハンガリー帝国の自治、ポーランドの独立、トルコ少数民族の保護、植民地問題の公正解決、といった民族自決のさきがけ(アジア、アフリカ諸国の独立は第二次大戦後となる)も含まれている。さらに重要なのは、新しい国際秩序を樹立するための構想として提案された国際平和機構の設立、秘密外交の廃止、軍備の縮小と海洋の自由及び経済障壁の撤廃である。その中心目的は「搾取のない平和と繁栄の世界」の樹立だった。(つづく)
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