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2007-01-15 00:00
小学校の「英語」教育は不必要
大藏雄之助
評論家
安倍総理の肝いりで設けられた教育再生会議は当初から委員の人選に危惧があったが、文科省の事務局の意向が強すぎて、教員免許の更新制といじめ当事者の登校停止を提起するにとどまりそうだった。その後やっと「ゆとり教育見直し」を提言に盛り込むことになったものの、これからも大した成果は期待できない。
それよりも伊吹文科相が就任時に言明した、小学校の英語授業取りやめの方が緊急の課題であろう。小学校の英語は、「外国理解の一環として外国語に接する」というのが趣旨で、それからすれば、むしろ近隣の朝鮮半島や中国大陸の言語の方が望ましく、特に韓国語は日本語と文法的に類似しているので子供にとって親しみやすいばかりか、友好関係促進にも役立つであろう。
それがいつの間にか「英語」ということになってしまったのは、小学校児童の大多数の保護者が希望したからである。多分幼少時から英語を勉強しておけば、大人になってから困らないと考えたからではないかと思われる。しかし、一週間に一度程度の会話で外国語が上達することはあり得ない。相当な時間を充てている私立の小学校の出身者の場合でも、大学に進学するころには、公立の中学校から英語を始めた者と全く見分けがつかない。
小さいときから修得して効果があるのは発音であるが、そのようなネイティヴのイントネイションを教えることのできる小学校教員は一体どれぐらいいるだろうか。第一、われわれに求められているのは、読み書きにおいて相手の主張を正しく理解し、それに対して自分の意見を十分に伝えることのできる能力である。多くのインド人の英語はものすごいなまりがあるけれども、国際的な会議の場では非常に説得力を持っている。文科省は小学校の英語を「学習」と言わず、「活動」とぼかしているが、英語の歌を歌う程度なら従来の授業の中でもできる。優先順位は何よりも国語力の充実だ。
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